リティー・パニュ 監督インタビュー
「証言」するために、私は映画を作る
Q: 元看守達の振る舞いは、すべて事実に基づいているのですね? 4分間ワンカットのシーンには慄然としました。
RP: 彼らの仕草は、その当時彼らが実際に行っていたものです。その順番は必ずしも正確ではないですが、身体に刻み込まれた記憶がとても大事だったのです。なぜならば、言葉で表現することに長けていない彼らにとって、仕草は身体の語りなのです。
仕草の中には「教えられた」ものもあります。それは彼らが看守になる際に叩き込まれたもので、例えば囚人を尋問に連れて行く時には、まず手錠を掛け、次に目隠しをし、それから足かせを外す。順番はこれ以外にはあり得ず、この仕草は間違えようがない。日常生活の仕草に関しては、順番の混同があったのですが、訓練された行為は、身体に染みついてしまっていたのです。虚偽の告発を強いる時、棒で殴る時、拷問をする時などの動作は全部教えられたもので、彼らはそれを手順通り忠実に再現したのです。加えて、「言葉」までも当時の言葉遣いが戻ってきました。例えば、現在使われている手錠は、鍵で開けるものが一般的ですが、当時の手錠はネジで留めるものでした。だから、「手錠を外す」に当たる言葉は「ネジを解く」という表現になり、実際彼はそう言っていました。S21という空間に身を置くことによって、「身体」の言葉が帰ってきたのです。
Q: 無駄や勿体ぶったところがない見事な撮影です。
RP: 撮影で一番大切なのは「時間」です。私は短いショットは好きではありません。できるだけ長いショットの間で人間が「生きる」のを見たいし、感じたいのです。「沈黙」も重要です。「沈黙が語る」という言葉があるとおり、私にとって大事なことです。
だから、映画に必要なのは言葉を理解するクルーです。カンボジアにはそういうカメラマンがいなかったので、私が訓練して、言葉のリズムが大事で、言葉を理解しなければ正しい撮影は出来ないと教え込みました。私は、良いカメラマンは、聞いていることを大事にできるカメラマンだと常々言っています。一日の撮影を終えて、その日の撮影分を見ている時に、「そこであなたは、ちゃんと聞いていなかったじゃないか」「相手のリズムに協調できなかったではないか」などとカメラマンを叱責することもありました。
適切な距離と高さも重要です。私にとって、適切な距離は、被写体に触れられる位の距離で、私が望めば触れられるし、逆に相手が私を殴りたければ、殴ることができるような距離です。
Q: ラストは素晴らしい締めくくりですね。
RP: ラストショットを撮影した時、季節は雨期でした。凄い風が吹き始めて、雷が鳴り始め、辺り中が埃だらけになりました。良いショットが撮れると思いましたが、その時は三脚がなかったので、カメラを地面に置きました。使えるものかどうか分かりませんでしたが、手持ちで撮影していたら画面がブレたのです。ブレたのは、それが現実だから仕方がないという考えは、一切しません。私はそれは認めません。あくまでも、安定した撮影でなければならないと私は思います。カメラを地面に置いて、スタートボタンを押し、そして撮ったのがあのショットです。
あの場所で風が埃を巻き上げ始めた時、私はこれこそ作品のエンディングに相応しいと直感しました。“In Memory”という言葉は、後から考えついたものです。私たちは、3年間元収容所に通って、「記憶の埃」を追い続けていました。我々は、忘却に対して戦いを挑んでいたのです。「記憶」と「忘却」の間の戦いは、とても不平等なものですが、私が思うに、忘却にも2種類あります。何も記録に残さない完全なる「無」と、記録を残した上での忘却です。私は後者を選びました。記録に残すことが、何としても必要だったのです。
(採録・構成:加藤孝信)
インタビュアー:加藤孝信、矢部敦子/通訳:カトリーヌ・カドゥ
写真撮影:山崎亮/ビデオ撮影:近藤陽子/2003-10-13