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    時を越えて見つめるもの 〜ヤマガタ・カテイシネマ〜

     戦前の山形県が記録されたフィルムを観ていて、ふと懐かしさをおぼえる事に気がついた。「古いフィルムだもの、当たり前ではないか」と思ったものの、よく考えると撮影された時代に私は生まれていない。初めて見る土地も数多く映っているのだから現代の町並みと重ねあわせている訳でもない。この感情はいったい何だろうと思案して、私はフィルムに刻まれた先人の“思い”を見ているのではないか、という結論に至った。

     デジタルはおろかビデオさえ無い時代である。高価なカメラを手に希少なフィルムを回して撮られた映像は、現代のホームビデオよりも思い入れが強いのではないか。愛児たちの笑顔、町の歴史を刻む行事、何気ない日常の幸福。そこには撮影者のまなざしがある。焼きつけられているのは、光と影の向こうにある、記録する者の心だ。そこに私の魂は、郷愁を感じているのかもしれない。

     「ヤマガタ・カテイシネマ」に映る風景、そして人。あなたはそこに、何を見るだろうか。何を思うだろうか。

    (斎藤健太、黄木優寿)


    - アダチカテイシネマ

    Adachi Household Cinema

    1935年頃/サイレント/モノクロ/ビデオ(原版:9.5mm)/25分

    安達英夫氏の父は戦後、寒河江町(現寒河江市)町長を務めた人物。ガラス乾板で写真に目覚め、自宅に暗室を作って写真を楽しんだ。9.5mmムービーカメラにもいち早く目をつけ、神社の祭や旅行の記録、親戚の子どもたちを主人公にした劇映画を数多く制作した。近所の川を掃除すると、うずたかく積まれるのは安達氏が撮影や現像に失敗したフィルムだった。また、隣近所や親戚を集めて行われた上映会は、「安達様(あだっつぁま)の映画会」と呼ばれ、皆が楽しみにしていたという。山ほどあったというガラス乾板写真は子どもたちの格好のおもちゃとなってほとんどが失われてしまったが、奇跡的に残された映像の奥には、カテイシネマの灯とともに安達氏のあたたかなまなざしを感じとることができる。



    - 佐藤久吉ホームムービー集

    Sato Kyukichi's Home Movies

    1931-53/サイレント/カラー、モノクロ/ ビデオ(原版:16mm)/33分
    撮影:佐藤久吉 提供:佐藤俊二

    港町酒田市で造り酒屋の金久酒造を営んでいた、二代目佐藤久吉氏。新しいもの好きで、趣味のテニスに熱中する傍ら、8mmや16mmの新型カメラが出るとすぐさま購入しては撮影を楽しんでいた。三笠宮の酒田訪問、巡洋艦羽黒の見学、祭のパレード、テニス競技会、旅行、そして子どもたち。昭和5年(1930)に長男が誕生すると、久吉氏は「金久」の銘柄を「初孫」に改名している。フィルムのなかで小さなカメラを手に微笑む坊主頭の長男、久一少年は、のちに映画評論家の淀川長治氏が「世界一」と絶賛した映画館「グリーン・ハウス」の支配人となった。