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YIDFF 2023 アジア千波万波

私はトンボ
ホン・ダイェ 監督インタビュー

聞き手:中根若恵

映画を通して過去を振り返る

中根若恵(以下、中根):ホン監督は高校生時代からカメラを手にされていますが、ドキュメンタリーを作り始めたきっかけについてお聞きかせください。

ホン・ダイェ(以下、ホン):中学生のときにマイケル・ムーアの作品に初めて接したのですが、社会風刺的な視線から鋭い批判をしながらも、どこかに面白味や温かさがあるという彼の作風に刺激を受け、ドキュメンタリー監督になりたいと思うようになりました。私はソウルの北にある高陽(コヤン)市で育ったのですが、そこは、DMZ国際ドキュメンタリー映画祭とEBS国際ドキュメンタリー映画祭という、ふたつのドキュメンタリー映画祭が開催されてきた場所でもありました。中高生のときからこうした映画祭に訪れ、多くのドキュメンタリー映画に触れてきました。また、映画祭で開催された、中高校生向けのドキュメンタリー制作ワークショップにも参加したのですが、それが私にとって初めてドキュメンタリーを作った機会でした。

中根:本作は、映画作りに関する内省的な思考を重ねることによって、8年という時間の厚みが立ち上がってくる作りになっています。映画は出来事を時系列に沿って示す一方で、各所で、時間軸をあえて曖昧化するような編集が行われているのも印象的でした。そうした構成を採用した意図についてお聞かせいただけますか。

ホン:私自身の感情が時間とともに変化をしてきたので、全体としては、その感情の変化とともに、できごとを時系列順に見せる構成になっています。その一方で、例えば「今」抱いた気持ちが、過去のある時期の自分の感情とオーバーラップしていると気づく場面が多くありました。そうした際には、その「今」という時間軸の中に、過去の感情や出来事を重ねるような、ひとつのシークエンスとして構成しています。それから映画の終盤では、これまでのストーリーをまとめたいという思いから、過去を振り返る場面を加えました。

中根:監督にとって、映画というメディアを介して過去を振り返ることは、どのような意味を持つのでしょうか。

ホン:映画でも描いていますが、そこに登場した友人らと、「私達は過去に埋もれているような気がする」という話をたくさんしてきました。それでも、このドキュメンタリーを作ることは、私にとっては常にその時点において「現在進行中」のプロセスでした。なので、この作品を完成してから初めて過去を振り返るということを実感したと言えます。

“私”にとってのカメラ

中根:映画はホン監督とご友人やご家族との関係を写し撮っていますが、カメラが介在することによって、コミュニケーションのあり方に何らかの変化がありましたか。

ホン:あまりにも長い時間カメラを回し続けていたので、家族、そして特に友人は、私がカメラを持っていることに特別な注意を払うことがなくなっていったように思います。その意味でも、おそらく撮られる側には、私がカメラを持っているかいないかで生じる違いはそれほどなかったと思うのですが、私自身の気持ちには少し変化がありました。というのも、すべてがドキュメンタリーを中心に回り始めるというか、ドキュメンタリーを撮るためにこうしよう、ああしようという気持ちになることがよくあったのです。例えば、重要な話はカメラを回してからした方がいいのではないかとか、常にそういった考えを持つようになっていましたね。

中根:自らが精神的に追い込まれるような状況もドキュメンタリーでは描かれていましたが、そういったときカメラを持ちづらくなりませんでしたか。

ホン:一種の強迫観念のように、自分が感じている気持ちや感情を残さなければいけないという思いに苛まれていました。泣きたいなと思ったときに、カメラを回してから泣かなくては、という考えになっていたり、何が起きているのか分からないような状況であっても、「今この瞬間」の感情を残さなければいけない、という気持ちになったりしていました。そうした作業をしなければ、自分の置かれた状況や精神状態に耐え抜くことができなかったのかもしれません。

記録と記憶

中根:映画終盤のボイスオーバーのコメンタリー「記憶は過去の記録となり、誰も覚えていない記憶の中で、消えたものに思いをはせ、残った意味を探した」がとても印象的です。記録することと記憶することに関して、ホン監督のお考えをお聞かせください。

ホン:最初は、「今」を記録しないと、記憶としても残らないだろうという思いから、とにかく記録を残さないと、という気持ちでした。ですが、そうしていくうちに私の記憶が、記録にすべて埋め尽くされてしまうような状況になってしまいました。撮った記録を振り返りながら、記憶をたどっているうちに記録のみが残ってしまい、記憶がどこかいってしまうという状況です。ある時、友達に一緒に経験した出来事について聞いてみると、彼女はほとんど覚えていないということがありました。記録した私自身は覚えているのに、そこにいた友達や家族は覚えていない、不思議な状況が生まれてしまったのです。私のみが記憶を残していて、まるで記憶を全て記録に乗っ取られてしまったような状況になってしまいました。そこで、そうした記録を「みんなの記憶」として蘇らせたいという気持ちが生まれました。それがこの作品を最後まで作り上げるための原動力になったのだと思います。

中根:ご友人のひとりが、カメラを向けられることが嫌だったと告白しているシーンがあります。またその一方で、ひとりのご友人の最後の姿を写しとることができたという記憶装置としてのカメラの役割に思いを馳せているシーンも印象的でした。カメラの持つ暴力性や記憶を想起させる温かさといった両義的な側面について、ホン監督のお考えをお聞かせください。

ホン:私が初めてドキュメンタリーを作ったのは高校2年生の時だったのですが、その作品は、韓国の教育システムを批判するものだったんです。マイケル・ムーアにインスピレーションを受けて、風刺的でコミカルな描写を加え、キャラクター性を際立たせるような表現にしたのですが、そのドキュメンタリーが学内で問題視されて、教師らと衝突する事態になりました。教師に問題作だと言われたこと自体はそれほど気にならなかったのですが、インタビューに応じてくれた友達らを巻き込んでしまったことに気が咎めました。撮影時のインタビューで、ひとりの成績優秀な友人に「あなたはなぜ学校に来ているのか」という質問をしたんです。その質問に対して彼女は「実はあまり学校に来たくない」と答えました。学校の授業も役に立たないから、授業ではほとんど寝ているだけで、ひとりで勉強した方が効率的だと。私は、学校がただの受験準備のための機関に成り果ててしまったということを見せたくて、こうした彼女の言葉を加えて編集しました。それはおそらく、私だけではなく皆が感じていたことでもあるのですが、それを見た教師らは、君は成績優秀なのに、なぜ授業では寝てばっかりだったのかと友人を責めたのです。教師はある意味でインサイダーなので、ドキュメンタリーを批判せざるを得なかった事情もあるかもしれませんが、現実をあまりにも赤裸々に描いたことで、友人を巻き込んでしまったことに対して、私は強い罪悪感を覚えました。それがカメラを回すことの潜在的な暴力性に気づくきっかけになり、その後の作品では、異なったアプローチを探りたいと考え始めました。

私映画を通して描く韓国社会

中根:映画を通じて加熱する受験戦争や学力至上主義の弊害を含め、韓国の若者をめぐる状況についてどのようなコメンタリーをされているのでしょうか。

ホン:映画を通じた教育システムへの批評のメッセージは、かなり明確なものがあったと思っています。有名な大学に入らないと人生が駄目になってしまうだとか、価値がない人間になってしまうだとかと、幼いときから10年以上にわたって周りの大人たちに言われ続けると、有名大学に入ること以外に選択肢がないと信じ込まされるようになるんです。このようなプレッシャーの中で生きてきて、いきなり大学に入った途端、大人になれと言われる。それまでに人生について悩む機会もなければ、何かの問題に真正面からぶつかって考える機会もなく、勉強漬けの学生時代を過ごしたわけですから、いきなり社会に出て、いろんな出来事に遭遇したときに、なかなかそれをすんなり受け入れることができません。私自身も、大学に入り社会に出たとき、まるで針で肌をさされるような痛みを伴う感覚を覚えました。このドキュメンタリーを通じて、私はその感覚を伝えたかったのだと思います。

中根:監督が高校生のとき、同級生たちの間で自分たちが直面している生きづらさに対して、何か行動を起こそうとする空気はありましたか。

ホン:一言で言うと、何とかしたいという空気感は全くありませんでした。もちろんみんな、自分たちが置かれている状況はおかしい、こんな場所を卒業したらすぐに海外に出たい、といったような話をたくさんしていました。ですが、何とかしようという動きや空気が無かったのは、現実に受験が近づいてきている中で、とにかく泣きながら走るしかない、何とかしていい大学に入らなくてはいけない、という状況に置かれていたので、そういった空気感が生まれる余地がなかったんだと思います。

中根:ご友人へのインタビュー・フッテージを用いながらも、ドキュメンタリーの語りにおいてはホン監督のボイスオーバーが大きな役割を果たしていたように思います。このように監督の声を、ボイスオーバーという形式を用いて前傾化させようと思った意図についてお聞かせいただけますか。

ホン:それほど深い考えがあったわけではないのですが、シンプルに私自身の感情や視点を盛り込みたいという気持ちから、自分の声を使うことが最も真実味を生み出すのではないかと思い、ボイスオーバーを使いました。つまり、私自身が感じ取ったものや目撃したものを真実として伝えるということだ、と思ったので、私の声を採用しました。

中根:「ドキュメンタリーの真実は被写体の感情の中にある」という映画祭パンフレットでのホン監督の言葉が印象的でした。ドキュメンタリーの真実、そして、真実と感情の結び付きに関するホン監督のお考えをお聞かせいただけますか。

ホン:今後、考えが変わるかもしれませんが、今の時点では、感情には真実が存在すると私は思っています。こうした考えに至ったきっかけがあります。私はどちらかというと自分の感情を隠すことができない人間で、感情的な自分を幼い頃から恥じることが多くありました。というのも、悲しみや怒りといった感情をさらけ出すことを、周りの大人から幼稚だと言われることが多かったからです。ですが、大学時代に「小説の創作」という題目の講義で、作品のキャラクターが示す最も客観的な要素は結果的には感情の中にあり、感情以外のものは全て主観的な解釈である、とある教授が話してくれました。その言葉に私は、はっとしました。それまでは、常に感情的な部分を排除しようだとか、ドキュメンタリーでも理知的な方法論を突き詰めていこうと思っていました。ですが結局、本当の意味で客観的なものは、そのキャラクターが持つ感情のみだということに気付かされ、感情を隠す必要がないんだと思うようになりました。

中根:10代から20代にかけての8年間という時間の流れを写し撮るフッテージからは、映画を撮ることと生きることが強く結びつくような、ホン監督の映画作りへの切実な姿勢がうかがえました。映画というメディア、そして映画を作ることは、監督にとってどのような意味を持っていますか。

ホン:ドキュメンタリーにも登場しましたが、韓国には生活記録簿という子どもたちが自分の個人データを学校で書く慣習があって、私は自分の夢を書く欄に、誰かを助けられる人になりたいと書いたのですが、この夢は今も変わっていません。私がもし誰かを助けることができるのであれば、自分が一番好きなドキュメンタリーを通して、助けたいという気持ちが強くあります。高校のときは、誰かを助けるということの意味が、派手なアクションに直結していたのですが――例えば、友達のために直接的に何かをやってみせるだとか――今は助けるということに対する私自身の理解が変わりました。ただ単に、何かを必要とする人のそばにいることも、一緒に共に歩んでいくことも、人を助けるひとつの方法であるということに気付かされました。そしてここでの「誰か」を助けたいその「誰か」には、自分自身も含まれています。

採録・構成:中根若恵

写真:小関央翔/ビデオ:加藤孝信/通訳:ペ・スンジュ/2023-10-08

中根若恵 Wakae Nakane
南カリフォルニア大学映画芸術学科博士後期課程在籍。専門はドキュメンタリー映画、実験映画、ジェンダー論。『Female Authorship and the Documentary Image』(Edinburgh University Press、2018年)、 『Women and Global Documentary』(Bloomsbury、刊行予定)などの論集に日本のドキュメンタリーと女性の作者性に関する論考を寄せている。