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YIDFF 2023 インターナショナル・コンペティション

ホワット・アバウト・チャイナ?
トリン・T・ミンハ 監督インタビュー

聞き手:木下千花、菅野優香

日常の媒体

木下千花(以下、木下):最初の質問は媒体についてです。あなたは40年の経験を持つ映画作家として、さまざまな媒体を使って活動してきました。最初の作品『ルアッサンブラージュ』(1982)は16mmフィルムで撮影しましたね。『愛のお話』(1995)では35mmフィルム、そして日本を題材にした『四次元』(2001)はデジタル撮影でした。そこで、この『ホワット・アバウト・チャイナ?』で私がいちばん興味を持ったのは、30年前にHi8で撮影された素材が使われているということです。これは『核心を撃て』(1991)のプロジェクトの続きと見るべきなのでしょうか? それとも何か別のものなのですか?

菅野優香(以下、菅野):それに関連して、私はあなたが「ファントム・イメージ」と呼んだものが気に入りました。意図的かどうかはわかりませんが、このどこか解像度の低いイメージは、特別な何かを捉えている。あのファントム・イメージの中には、本当に興味深いアナクロニズムがあると思います。それも関係があるのでしょうか?

トリン・T・ミンハ(以下、トリン):あれは意図的です。どの映像形態にするかという選択の裏にはたくさんの理由があります。最初は実用的な理由や、そのときの状況によって選んだのかもしれませんが、最終的にはどこかの過程で意図的・芸術的な選択の一部になる。たとえば私の場合、初期の作品は8mm、16mm、35mmのフィルムでしたが、それからHi8に移行し、そして『四次元』はSD、『Forgetting Vietnam』はHDで撮影しました。つまり、私はあらゆる撮影媒体を使ってきたのです。そして今はデジタル技術の時代なので、この映画はHDと2Kの両方でリリースされています。とはいえ、『ホワット・アバウト・チャイナ?』が撮影されたのは、ちょうどHi8が出てきたころでした。当時としては最新鋭のアナログ・ビデオ技術です。フィルムからビデオに移行したのには実用面の理由もあります。当時の中国は天安門事件の余波がやっと落ち着いてきたころで、撮影がとても難しかったからです。

木下:最初から長編ドキュメンタリーにするつもりで撮影していたのですか? それとも、ただ建物や人々がとても興味深かったから撮影していたのでしょうか?

トリン:私のドキュメンタリー作品に共通しているのは、個人や、個人の物語にフォーカスしていないということです。例外はフィクション映画と、そして『姓はヴェト、名はナム』もインタビューのポリティクスについて考察する映画なので……。

木下:(笑)インタビューのポリティクス! あんまり緊張させないでください!

トリン:(笑)そうですね、配慮すれば、インタビューもまた道具のひとつです。しかしそうでなければ、しごくまっとうな習慣的なものになる――映画にも出てきたように、疑問の余地のない「時代遅れなドキュメンタリー手法」ということです。南部の女性と北部の女性の物語である『姓はヴェト、名はナム』は、インタビューのポリティクス、翻訳と字幕のポリティクスにフォーカスしていました。しかし他の作品で重視しているのは――この点で私はフェミニズム運動に借りがあるのですが――日常のポリティクスです。そこに物語は必要ありません。そして物語を促すための対立も必要ない。物語と対立は、メインストリームの映画にとって必須の要素です。もちろん、対立があれば観客も退屈しないでしょう。しかし、私はそれに魅力を感じません。政治的・精神的な広がりをほぼ持たない、あるいはまったく持たない個人的な物語を中心にすえる手法にも、同じことが言えます。

 たいていの場合、大切なのは「そこにいる」ことであり、カメラの前で起こっていることに真剣に注意を向けることです。私はいつもかなりリサーチをしますが、撮影の現場に入ればそのすべてを忘れます。素材が積み重なっていけば、撮影中や編集中に自然と映画の方向性が見えてきますから。私はただ、自分の目の前にあるものと一緒にいるだけです。そうすれば、新鮮なアプローチを保ち、偏見や固定観念などの余計な荷物のない、ありのままの現実を取り入れることができる。そのような荷物を脇に置くのは、日常のポリティクスの一部です。政治とはなにも、有名な政治家や国家のリーダーだけが行うことではありません。私たちが毎日行っていることの中に政治はある。そのため、私は映画製作のポリティクスというものをとても強く意識しています。映画の撮影でも、執筆でも、編集でも、構想を練る過程でも、そこには政治が顕著に存在する。

 近著の『The Twofold Commitment』(Primary Information, 2023年)でも書いたように、私はすべての仕事で、作品の主題だけでなく、創造のプロセスやツールにもコミットしてきました――この場合、それはデジタル映画です。あるイメージに何を見るかということは、それをどのように見るかということを物語る。だからこそ、このハイテクとデジタルの時代に、古くさいHi8のアナログ映像で、人々による、そして人々のための建築を見せることに大きな意味があるのです。『ホワット・アバウト・チャイナ?』の中でも言っているように、「日々の汚れに合っている」ということです。実際に中国に戻り、4Kの映像を新しく撮影することもできたでしょう。しかし、そうはしなかった。古い素材を丹念に見て、そこには間違いなく独自の高潔さがあり、それをそのまま残したいと感じたからです。それは私たちに、歴史のある瞬間について教えてくれる。その時代のテクノロジーについて教えてくれる。そしてもちろん、目にした瞬間に過去の記憶になるイメージの根底にあるものについて教えてくれます。

木下:ほぼ30年前にHi8で撮影した素材を、パンデミックの期間に見直したわけですが、視点やとらえ方に何か変わったところはありますか? かつては気づいていなかったギャップなどは?

トリン:(『ホワット・アバウト・チャイナ?』上映後に行われた)土曜日のQ&Aで発言した若い男性を覚えていますか? 彼は、私があの映像を撮ったまさに同じ年(1993)に中国で生まれたと言っていました。そして、映画を観た後で、自分自身から「野性的な側面」とも呼べるようなものが消えていたことに気づいたとも言っていた――現在の彼の人生、彼をとりまく環境には、その野性的な側面はまったく存在しない、と。私も少し同じように感じています。

 あの映像を見るととても心が動かされます。それは、人々や建物が消えていってしまったのかという単に疑問を呈しているからではありません。物質的なものはすべて作り直すことができます。たとえば現在、実際に客家の村が観光用に再建されていたりする。インターネットでバーチャル旅行まですることができるのです。一見すると村人のような人たちもいますが、実際にそこに住んでいる人はもういません。彼らは観光用の村人です。博物館のようなものですね。それでは、いったい何が消えたのでしょう? それは家ではない。なぜなら、家は再建できるからです。消えたのは、ある種の生き方であり、ある時代の日常です。言い換えると、今はもう見られなくなった人々の暮らしです。撮影された映像には、すでに消えたもの、あるいは消えようとしているものの痕跡がたくさん残されている。残されたものたちは目に見えない形で映像の中に埋め込まれ、その姿をすぐにとらえることはできないかもしれませんが、それでも映像を見ながらその存在を強く感じることならできる。映画の中でも言っていたように、「Hi8の映像は、消えゆくものと消え去ったものの索引としての役割を果たす」ということです。

 私にとって、この映像を見るのはとても感動的な体験でした。特にあの当時はパンデミックのさなかで、中国はウイルスの発生源であり、ウイルスの拡散に責任があると指摘されていたからです。しかし、中国はあまりにも広く、あまりにも豊かで、あまりにも多面的であり、アプローチの方法はそれこそ無数にある。なぜ私たちは、いつも金銭が絡み物質的な側面、この経済的な競争にばかり注目するのでしょうか? だからこそ、こういった田舎の日々の暮らしの映像に立ち返ることが重要だったのです。

菅野:新しく撮影していたら、まったく違った作品になったでしょうね。

トリン:実は、あのHi8の映像は2Kの映像にデジタル化されています。でも、結果的には「よりよい」映像になったわけではありません。私や、多くのインディペンデント系映画作家にとって、Hi8は特異な存在です。Hi8にしか出せない味がある。色の彩度がとても高いのです。HDではあの色は出せません。デジタルの映像は加工がとても簡単ですが、あの飽和した色合いをそのまま再現するのはまだ不可能です。それに加えて、Hi8は映像が柔らかい。一般的に、Hi8で撮影された映画は映画祭で受け入れてもらえません。フランツ・ファノンやヒト・シュタイエルではありませんが、貧しい「スクリーンの中の哀れな者たち」ということなのでしょう。それはまるで、映画祭や権威ある展覧会に、貧乏はお呼びでないと言われているようなものです。解像度の低い映像を見ると、彼らは即座にそのイメージと作品を拒絶します。そのような態度に直面すると、Hi8を使うこと自体が一種の抵抗になる。それはいわば、中央集権化された物語やメッセージを中心にすえるのではなく、日常のポリティクスと向き合うということです。高解像度の映像が人々を惹きつけるのではありません。他の方法でも人々の興味をつなぎとめることはできます。

過去における「ここ」と「今」

木下:あなたが中国にいた1993年は、Hi8で撮影したおかげで地元当局の介入を避けることができましたか?

トリン:『核心を撃て』をその前に中国で撮影したときは、つねに当局から監視されていました。でも、私たちが建設途中の家や、廃墟、あるいは彼らの目から見て無意味なものばかり撮影しているので、監視に飽きてしまったようです。『ホワット・アバウト・チャイナ?』の撮影では、前の映画と同じように、プロデューサー兼コラボレーターのジャン=ポール・ブルディエに旅行の手配をしてもらいました。彼は建築家で、アーティストで、写真家です。また、上海の同済大学の建築史学者を通してひとりの大学院生と知り合いました。その大学院生は都市部でしか暮らしたことがなかったので、私たちの撮影に同行して田舎に行くことにとても興味を持っていたようです。彼はその土地に特有の建築を撮影したいという私たちの意図を地元当局に説明し、助けてくれました。たいていの場合、当局はとても協力的でした。それに、あなたも指摘したように、実用的な理由の他にも、Hi8の機動性のおかげで延々と続く官僚的な手続きを避けることができました。

木下:映画は中国で上映されたのですか?

トリン:『ホワット・アバウト・チャイナ?』は製作資金の多くを上海外灘美術館に出してもらっています。この援助は本当にありがたかった。彼らはこの映画だけでなく、私の過去作品の回顧上映もしてくれたのです。しかし、そのためには厳しい規制をかいくぐる必要があり、すべての作品が検閲を通ったわけではありません。『ホワット・アバウト・チャイナ?』は、1930年代の上海を題材にした中国映画の多くと似ていると言えるでしょう。西洋と中国の社交界を融合したようなスタイリッシュな都会を舞台に、美しい女性とエレガントな男性が登場する映画です。こういった映画は、一見したところまったくの無害です。しかしその裏には、日本の支配に対する抵抗が描かれている。大衆の欲求に応えながら、それと同時に、最高潮にあった中国共産党の革命精神への賛辞も忘れない。当時の共産党は、まだ党の存続のために闘い、農村部での地位を確立するために努力している状態でした。つまり、それらは夢の仕事であり、現在の権力者にとって脅威にならないとみなされる。しかし、中国左派映画の黄金期を舞台にした物語なので、容易に意味が裏返り、まさにその革命精神から何が失われたのかということを、現代中国の倫理規程と統治との関連から、つねに思い出させる存在としても解釈されうる。

 それと同じように、1993年から1994年にかけての中国の農村を主題にするのも、現代中国が「今」「ここ」で直面している農村の現状を“間接的”に扱うことになります。具体的には、大規模で集中的な都市開発が推進され、農民という階級そのものが消滅しようとしていることです。1993年から1994年の映像を見て、ただの古くさい情景だと一蹴する人もいるでしょう。田舎に特有の建築など誰も興味がないというわけです。そのため、この映画は単なる昔の伝統的な村の映像でしかないととらえるなら、検閲をかいくぐるのは簡単でしょう。しかし、政治が強く意識されるような環境で働いている人であれば、間接的に見せ、間接的に語る技術を身につけることが必要になります。

 村は拡張する都市の建設用地として利用され、都会の消費者階級を創造するために田舎の風景が消えていく――こういった昨今の都市至上主義と、加速する近代化に疑問を投げかけるこの映画の姿勢を共有するのであれば、過去は現在であるということが理解できるはずです。都市と地方の分断は今もまったく解消されていません。強制移住や集団移転に関するあらゆる問題が噴出しています。中国とチベットでは村々がブルドーザーで潰され、人々は標準的な高層住宅に強制的に移住させられる。すべては経済発展と近代化の名のもとに行われていますが、実際は何よりもまず支配の問題です。だからこそ、この映画に出てくる「いったい何が消えているのか?」という質問と、「なぜ中国の農村は指導部にとって脅威となり続けるのか?」という質問が、とても今日的な意味を持つのです。

調和?

木下:この映画のまさに核心である「調和ハーモニー」というコンセプトについて話したいと思います。私はこれを、現代中国における「調和」というコンセプトに対する批判と解釈しました。しかし同時に、とても複雑であり、微妙なニュアンスを含んでいると思います。

トリン:その話をするなら、日常のポリティクスというテーマに戻る必要があります。日常にフォーカスし、たとえば、見る、撮影する、編集するという作業で、目の前の瞬間に自分のすべてを捧げるのであれば、まったく違う種類の映画ができあがるでしょう。映画の世界には「支配と服従」という状況での作品づくりが蔓延しています。音と音楽は映像に従属する存在であり、そして映像の編集は一点集中的な物語に従属する存在である。しかし、違う性質を持つ映画の各要素をすべて平等に扱うと、そこには調和が生まれるのです。

 調和とは広大なコンセプトです。そして何か広大なコンセプトから始めてしまうと、集中することができなくなり、必ず問題を抱えることになる。しかし私は、これをひとつの出発点ととらえることにしました。なぜなら、調和は古代から現代にいたる中国の倫理と美学にとってとても重要なコンセプトであるだけでなく、より広い意味で東アジア全体にとっても重要なコンセプトでもあるからです。

 覚えているかもしれませんが、韓国映画(イ・ハン監督『戦場のメロディ』2016)の物語が映画の中に登場しました。飢えた孤児たちを救おうとした少尉の物語です。彼は、子どもたちが盗みに走るのを放置するのではなく、代わりに合唱を教えることにした。盗みではなく歌なのです! でも、子どもたちの中に、いつも対立し、ケンカばかりしているふたりの男の子がいた。先生はふたりを引き離し、それぞれが同時に違う歌をうたうように言う。ふたりとも大きな声を出し、相手に影響されずに最後までうたい切らなければならない。これは難しい課題です。すぐ隣に大きな声うたっている人がいるのに、自分は違う歌をうたわなければならないと想像してみてください。あれはまさに、私たちが「平等」と「違い」を扱うときに直面する状況です――物理的にも、そして政治的にも。ふたりの男の子は、自分の歌を最後までうたうことができました。そこで先生は、「これが調和ハーモニーだ」と言うのです。大切なのは、お互いの違いを保ちながら一緒にうたうこと。調和は同じであるということに基づいていることではありません。結果的に調和は、たとえば多様性が「メルティング・ポット」として正当化されているアメリカのように差異が融合することではありません。私たちは、溶けるメルトことを望んではいない。お互いの違いはそのまま保ちたいのです。

 フェミニズム運動もそれと同じです。お互いの違いはそのままに、不平等を正すために闘う。私にとって核となる問題は、そのような調和なのです。中国の現政権は「調和」という言葉を政治的に利用しています。特に、チベットをはじめとする漢民族以外の人々が住む地域との関連で、この言葉がよく使われる。一方で、中国のネットスラングでは、「センシティブな」言葉や、公式に禁止された言葉は、冗談を込めて「調和化された」と表現されます。つまり、すべてがひとつに融合するのではなく、違いを保ちながら調和を実現するにはどうするのかという問題はまだ残っています。現状では、マイノリティのグループが支配的なグループに合わせるのが当たり前であり、支配的なグループの世界の見方こそが唯一正しいものであるという考え方が主流になっているのです。

 これが私たちをとりまく政治的な状況です。本筋を失うことなく、できるだけたくさんの可能性を考える。「調和」という言葉を、本来の意味とは違う使い方をされているという理由でただ否定するのではなく、むしろさらに大きく開き、多次元で双方向の受け皿として重要性を保ち続けられるように努力するべきです。私にとっては、フェミニズムもそれと同じです。フェミニズムを閉じた概念にするのではなく、新しい疑問に対してつねにオープンであれば、いきいきとした状態を保つことができる――多様な活動や理論が交差し、闘争の中でお互いを豊かにしていくことを通して、さらに発展していくことができるのです。

菅野:つまりこの映画は、「調和ハーモニー」に対する私たちの理解について新しい可能性を広げようとしている。

木下:それと、特に東アジア、とりわけ中国の現政権という文脈の中では、調和という言葉がとても抑圧的な形で使用されています。しかし、あなたの場合はその両方を行っている。その種の調和を批判すると同時に、調和の中にある違いを大切にするという可能性も追求しています。

トリン:映画では、「調和」という言葉や、それ以外の関連概念に対してさまざまな側面からのアプローチの方法を与えています。その「定義」の多くは『易経』の影響を受けている――「自然との調和、社会との調和、そして自身との調和」。映画でやっているように、たとえこの言葉の原型的な定義に戻るとしても、私たちは即座にそれを政治の領域に取り入れ、何が起こるか見ることができる。たいていの場合、調和という言葉の使われ方は外部的でしかありません。多様な要素を調和の中に持ち込もうとしている。しかし、自分自身はどうなるのでしょう? 自分との調和も達成していないのに、他者と調和することなどできるのでしょうか? だからこそ私は、この映画で、中国はただ「あちらにあるもの」ではないと指摘したのです。中国は「内なるもの」でもある。中国は私たちの中にある。中国製のTシャツを着て外に出かけるたびに、子どもに中国製のおもちゃを買うたびに、私たちは中国とつながるのです。私たちは中国とともにある。中国は世界中に存在する。現実の「内」と「外」を同時にとらえ、私の最新の著作のタイトルでもある「二重のコミットメント(Twofold Commitment)」を目指すのでもなく。私たちはえてして、他者をただあちらにいる存在としてとらえる傾向があり、その瞬間に、物事が抑圧的に単純化されるのです。

 内側と外側の調和――映画では、このようにして建築を語っています。光の使い方という観点から語り、人体を小宇宙として扱う医療である針治療との関連で語り、あるいは、土地の動静のパターンを読み、風と水を調和させる風水との関連で語っている。

タイトルについて

菅野:『ホワット・アバウト・チャイナ?』というタイトルについて教えてください。

トリン:一般的に、疑問符は多くの可能性に対して開かれた状態でいるために使われます。私の作品は一貫して疑問を追求してきました。単に答えを与える、たとえば、「これが中国(あるいは日本、ベトナム)です」と言うのではなく、疑問を投げかけるモードであろうと努めています。そのため、たとえ何らかの主張をするときでも、断言は避け、答えを留保し、ポジティブでもなければネガティブでもありません。実際、『ホワット・アバウト・チャイナ?』というタイトルは、とてもシンプルな状況から生まれました。パンデミックの間、中国についてはとても多くのネガティブな言説が飛び交っていました。どこかの部屋に人が集まって中国の話になると、ネガティブな話題ばかりが出てきます。そして私は、「なぜ中国だけ?」、あるいは「中国についてはどうなの(ホワット・アバウト・チャイナ)?」と応じる。つまり、これは開かれた質問です。新型コロナウイルス感染症は中国だけの問題ではありません。それは私たちとともにある。アメリカにも存在する。彼らは自分たちの公衆衛生の問題としてとらえるのを避けるために、責任をなすりつける相手を他に探そうとしていたのです。これは雨から逃れようとして川に落ちるようなものですね。

 上映会の会場では、タイトルが文字通りに翻訳されないこともあります。スペイン語では『China, Qué Tal?(中国、お元気ですか?)』、フランス語では『Retrouver la Chine?(中国に戻る?)』というように。これらのタイトルは映画の精神から離れず、日常的な文脈の中でタイトルの情報を伝えることに成功しています。映画批評家の中には、このタイトルはロラン・バルトのエッセイ「Alors, la Chine?(それで、中国は?)」から取られていると言う人もいますが、それは間違いです。作家に確認することなくそのような関連づけを行うのは、正確性という意味でも、政治的な意味でも、問題があると言わざるをえないでしょう。バルトの文章は尊敬していますし、1986年にゲスト編集者として参加した『ディスコース』誌で彼の文章の英訳を出版したこともあります。とはいえ、バルトの疑問(リー・ヒルドレスの「Well, and China?」という訳はとても適切でした)は、西洋が毛沢東時代の中国に対して抱く幻想への応答であり、その精神においても状況的な文脈においても今とはまったく違うものでした。実際、私のタイトルは、パンデミック期間中の何気ない会話から生まれました。あの時期のアメリカでは、中国への敵意、ひいてはアジア系アメリカ人全体への敵意が極度に高まっていた。より批評的に表現すれば、日常語として表現される言語を、たったひとりの男性優位的な思想家に帰属させるのは不可能だということです。特に、ジェンダーや辺境性に関連する力関係という文脈で語るならなおさらでしょう。

声を編集する

菅野:あなたがカメラを使い、動かす方法に加え、あなたの編集もまたとても興味深いリズムを生み出していると思います。そこに音を組み合わせると、映画に独特のリズム、音楽的な性質が与えられる。

トリン:そのすべてはとても強く結びついています。編集に関しては、素材がHi8ではなくデジタル映像だったら、作業ははるかに楽になっていたでしょう。昔の技術と新しい技術の間で信じられないほどの不便を経験しました。しかもパンデミックの最中だったので、アシスタントと並んで作業することもできません。それでも、私のすべての作品がそうであるように、私はそのプロセスを映画の中に取り入れました。うわべを飾ることで「調和させる」のではなく、色・テキスト・イメージの関連性を、その多層的な遭遇とさまざまな時間を持つという特徴とともにさらけ出さなければなりません。古いものと新しいものの間には、市場の都合によってある程度の非互換性があるということを受け入れなければならない。何か新しいものが出るたびに古いものは拒絶されますが、私はむしろ、その非互換と線形の関係を、互換性があり、非線形の何かに変えようとしています。それはしばしばリズムを通して行われ、それもまた抵抗のひとつのジェスチャーといえるでしょう。

木下:あなたが使った4つの声と、4種類のナレーションについて話してもらえますか? 映画には、シャオルー・グオが自身の回顧録である『9つの大陸(Nine Continents)』を読む声、イー・ジョンが中国からの情報を伝える男性の声、シン・シャオ・ユエの詩、そしてあなた自身の詩的な内省が登場します。この4層の声をどのようにしてイメージの中に織り込んでいったのでしょうか? シャオルーが祖父の名前を尋ねられたときのことを語るシーンで、あなたは帽子の比喩を使い、そしてカメラがパンして帽子をかぶる男性をとらえました。

トリン:その帽子のシーンは、自由連想の扱い方を考えるうえでとてもいい例です。自由連想は、可能性を切り開き、新しい発見をもたらすかもしれない。「これが意味するのはこういうことだ」と断定するのではなく、むしろ自分の見たものと聞いたものの間にある関係に疑問を投げかける。今見ているこの帽子は、今聞いた物語に出てきた帽子と同じものだろうか? さらに言えば、目の前の瞬間に本当に意識を集中すると、あなたはこう考えはじめる――ここでの帽子は、映像として知覚されたのだろうか? それとも音、あるいは単語として知覚されたのだろうか?「調和」という単語と同じように、再び出現するたびに新しい関係に対して開かれる。私は本も同じ手法で書いています。あるひとつの言葉から始め、それが段落の主要な筋のひとつになると、次の段落、そして次のページで、その言葉はまたどこかで関連してくる。本を最後まで読み、そして60ページを開くと、そこでまたその言葉を見つける。それを見失うことはありません。帽子のシーンにおけるシャオルーの声もそれと同じです。

 4つの声の配置において、ナレーターはすべて外部者であり、内部者でもあります。シャオルーとシャオ・ユエは中国で育ちました。しかし現在、ひとりはベルリンとロンドンで暮らし、もうひとりは日本で暮らしています。イーは幼少期を中国で過ごし、現在はカリフォルニアで働いている。そして私と中国との関係は、中国がベトナムを千年にわたって占領していた時代にまでさかのぼる。ベトナム人はつねに、自らを反中国として位置づけています。しかし、文化の面では近い関係にあることは否定できません。そのため、4つの声は、みな内側と外側でありながら、それぞれがわずかに違う立場から語っているのです。

菅野:それらの立場のひとつは、あなた自身による一人称の語りと結びつき、あなた自身を表現しています。それと同時に、これは映画作家が一人称で夢を見ているのだという思いがどうしても拭えませんでした。新しいオリジナルのキャラクターか、あるいは新しい「私」、と。

トリン:3人の女性の声はどれも大きく違います。しかし残念ながら、映画祭の字幕だけを見ているなら、それぞれの違いを聞き分けることは難しいかもしれません。ひとりは中国語とイギリス英語のアクセントで、もうひとりはアメリカのアクセントがとても強い英語です。そして私は、いわばフランス・ベトナム・アメリカ訛りの英語です。つまり、声のトーンは似ているかもしれませんが、音楽性と機能はお互いに大きく違います。「私」に関する指摘はとても嬉しく思います。なぜなら、まさにそれが私の意図したことだからです。3人の女性の声は、それぞれ違う背景を持っていますが、みな一人称で語っています。それは、観る人に複数の「私」を与えたかったからです。「私」が複数いると混乱するでしょう? 3人の声をすべて監督の声だと勘違いすると、今度はたとえばこんな疑問が浮かんでくる。なぜひとつの文では、「私」は監督とはまったく関係のない祖先のグオについて語り、石塘での農村の暮らしについて語っているのに、別の文では東営を故郷として語っているのだろう? そして、私自身の声による詩的で政治的な内省の中では、「私」に具体的な名前は与えられず、ただ暗示されるだけです。

 あなたが指摘した「私」についての疑問は、この映画に限定されるわけではありません。私が本を書くときの「私」の使い方にもあてはまります。一般的に、「私」という言葉から人々が連想するのは独立した自己であり、西洋的な文脈ではとても個人主義的な存在でもある。これは多くの意味で誤解をまねく考え方です。なぜなら、コミュニティと共同体が、外部の存在、自分とは切り離された存在とみなされているからです。集合的な「私」、つねにコミュニティの仕事に従事していると感じる「私」はどうなるのでしょう? あなたは世界とともにある。そして、この知識はどこからやって来るのか? ときには、その答えがわからないこともあります。ただ知識が頭に浮かんでくる。あなたの肉体は古代から続いている。肉体には、頭の中よりもたくさんの知識が蓄積されている。その証拠に、とても古く、とても広大な何かが、自然と訪れる瞬間がたくさんあるでしょう。「集合的」という言葉を、ただ単に人々の集団と一緒に働くという意味としてとらえるのではなく、集合的な「私」とは、私たちが大きく育てることのできる何かなのです。

木下:ジャン=ポール・ブルディエとのコラボレーションについても少し話を聞かせてください。ほとんどの映画で彼と一緒に仕事をしていますね。

トリン:ええ、それは集団と共同体に関連しています。私たちはいつもチームとして働いていますが、お互いに調和しているわけではありません。意思決定のスタイルがまったく違うからです。たいていの場合、それは一種の共同体的な状況です。たとえば、ジャン=ポールが建築を担当するなら、彼がすべてのリサーチを行い、住居や撮影場所の選択も彼が行います。そして撮影場所に到着すると、彼は独自の視点で対象を眺める。上からの視点で、場所と場所がどのように関係しているかということを考えるので、とても建築的な見方と言えるでしょう。それとは対照的に、私はとても地面に近い。彼は地図の担当で、私は旅行の担当です(ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』のコンセプトを借用するなら)。私は親密な空間に入り、ただやみくもにそこを旅してすべてを取り入れる。一方で彼は、全体の状況をマッピングする術にとても長けている。しかし、そうは言っても、私たちは協力して働いています。マッピングの担当と旅の担当が明確に分かれているわけではありません。私たちは一緒にマッピングを行い、旅をしています。

採録・構成:マーク・ノーネス
翻訳:桜田直美

写真:阿部旭葉/ビデオ:加藤孝信/2023-10-09
*インタビューは英語でおこなわれ、本記事は英語から翻訳されたものです。

木下千花 Kinoshita Chika
シカゴ大学院メディア学科博士課程修了。現在、京都大学院人間・環境学研究科教授。専門は日本映画史、表象文化論。単著に『溝口健二論:映画の美学と政治学』(法政大学出版局、2016年)共著に『ラオス・カラックス 映画を彷徨うひと』(フィルムアート社、2022年)『ユリイカ 高峰秀子特集』(青土社、2015年3月号)、『リメイク映画の創造力』(水声社、2017年)など。

菅野優香 Kanno Yuka
カリフォルニア大学アーヴァイン校博士課程修了(視覚研究)。現在、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程教授。専門は映画・視覚文化研究、クィア・スタディーズ。著作に『クィア・シネマ 世界と時間に別の仕方で存在するために』(フィルムアート社、2023年)、編著に『クィア・シネマ・スタディーズ』(晃洋書房、2021年)、共著に『日活ロマンポルノ性の美学と政治学』(水声社、2023年)など。