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YIDFF 2019 春の気配、火薬の匂い:インド北東部より
浮島に生きる人々
ハオバム・パバン・クマール 監督インタビュー

家を焼かれても湖で生き続ける 彼らの生き方に魅せられた


Q: 冒頭の、漁師の家が焼かれる場面はショッキングなものでした。そもそも政府は、なぜ彼らを立ち退かせようとしているのですか?

HPK: 物語の舞台であるロクタク湖は、環境面で瀕死の状態にあることは確かです。政府は漁師たちに汚染の責任を押しつけますが、実際には、町からの汚水の流入やごみの投棄も大きいです。環境保護を理由に立ち退かせておきながら、ここで開発を始めたり、補償金が誰かの手に渡り私腹を肥やすような、政治的な腐敗も問題です。そして、長年この土地に根付いている、ミュージカルのようなリズムを持った、熟練した漁の手法が犠牲になっており、私はそれを映画を通して伝えたいと思いました。

Q: 確かに魚採りのプロセスなど、漁師の生活の細部がていねいに捉えられています。映画を撮る際、特に注目していたものはなんですか?

HPK: 彼らの生き方ですかね。そこに魅せられた部分が大きいです。湖に小屋が浮かんでいることは知っていても、どういう過程を経てそこで暮らしているのかは知りませんでした。何度も足を運ぶなかで、彼らの日々の奮闘が見えてきました。彼らは困難を抱えており、この生き方が幸せとは言えないかもしれない。でも、ここに残るんだ、という強い意志を持っていて、焼かれては建て、焼かれては建て、をくり返す強靭な姿勢には、苦境の中で人間がどう生きるかをみせつけられた思いです。

Q: 漁師たちの生活環境がよく分かる、ロングショットが目立ちましたが、そのこだわりや、意識したことについて教えてください。

HPK: 私は常に、場面のリズムをそのまま写すことを尊重したいと思っており、それにはロングショットの方が適していると思ったのです。それによって漁師たちの生活のリズムだけでなく、彼らの人生のあり方まで見えてきます。そういうものを捉えることは、映画を撮るうえでとても大切です。また、モンゴロイドの多いマニプール州の人たちは、顔の表情をアップで捉えるより、身体の動きをロングでとらえたほうが、より多くのことを伝えられると思ったので、それも意識しています。

Q: 取材対象者との関係は、どのようなものでしたか?

HPK: ここは湖で、私有地ではないので、マスコミが勝手に立ち入り配慮無く撮影していき、彼らはひどい思いをしていました。そこで私は、友人になりつつカメラを廻していく方法を選択しました。そうやって彼らの人生を理解していくと、築いた関係は撮影後も続きます。3年後、ここで長編のフィクション『Lady of the Lake』を撮りましたが、そのとき彼らは、私の劇映画に出演することを快諾してくれました。

Q: 劇映画も撮られたいま、あらためてこのドキュメンタリー作品は監督にとってどのような意味があったと思いますか?

HPK: 私を含めマニプール州の人々は、インドではネパール人や中国人だと思われがちで、私には、映画を撮ることでインド人としての存在を認めてもらいたい、という思いがありました。自分の身近なコミュニティを描き状況を伝えるツールとして、ドキュメンタリーが非常に有効であることにも気づきました。ただし、ドキュメンタリーにもフィクションの要素はあるし、フィクションにもドキュメンタリーの要素はある。表現としての映画には、常にハイブリットな要素があると考えています。

(構成:佐藤寛朗)

インタビュアー:佐藤寛朗、楠瀬かおり/通訳:松下由美
写真撮影:新関茂則/ビデオ撮影:永山桃/2019-10-12