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YIDFF 2019 ともにある Cinema with Us 2019
春を告げる町
島田隆一 監督インタビュー

これは「復興映画」ではない


Q: 演劇部の中学生が、世間一般的な「復興」に疑問を投げかけるシーンが印象的でした。今回の映画で「復興」というテーマはどのように意識していましたか?

SR: 僕が広野町を取材すると決めたときに最初に心がけたことは、「復興映画にしない」ということでした。住民の方々の多くが、原発事故が起きる前から町で生活していて、その営みはこれからも続いていくわけですよね。「復興」とか「震災」というキーワードとともに彼らの生活の歴史を見ていくと、大きな何かを見逃してしまうんじゃないかという気持ちがありました。

Q: 恐竜の絶滅と震災の不条理を重ねて語られるシーンがありました。作品全体が、町民の生活の今を記録していくような展開の中で、このような場面を入れたのはなぜですか?

SR: 震災から6、7年経って、町の人たちと話していて、もう「今」を切り取るだけでは済まない状況に来ているんじゃないかという感覚があるからです。もうちょっと俯瞰した時間の取り方、例えば40年とか50年とかいう時間の中で今回の原発事故について考える視点を持たなきゃいけない。もっと大きい時間の流れの中で言えば、恐竜が絶滅したとかに比べれば、今回の原発事故も非常に小さな一瞬の出来事になってしまう。そういう時間軸の中で見れば、必ず大地震とかいろいろなことが起こってきたわけですよね。ということは、それが「起こらない」という考え方で、原発をあそこに建てるとはどういうことなのか? とか。福島は、大きな地震が何回も起こってるところですよね。「時間の感覚を色んな尺にしたい」というのをあの土地にいて感じました。

Q: 広野町の町民以外に、県外からの原発作業員の方にも取材されていました。なぜ、彼らに焦点を当てたのですか?

SR: 私自身がいろいろ勉強していく中でわかったのは、実は広野町は移民の町なんです。広野町のある双葉郡は、かつて炭鉱で栄え、火力発電、原発を誘致してきました。そうしたエネルギー政策と絡むことで、よそからの人の出入りがありました。今回は、原発事故で町民の全体が出ていきましたけど、町民が戻ってくるタイミングで、その半数くらいの作業する方たちが移り住みました。これをこの一瞬で捉えてしまうと「住民の半分も原発の作業員が住んでいる町だ」という見方になるわけですけど。そもそも福島県双葉郡というのは、なかなかそこだけでは成り立たずに出稼ぎに行っていた歴史があり、また、エネルギー政策によって人が移り住んできた町でもありました。そういうふうに、今の現象をもうちょっと違う目線で捉えることができるんじゃないかと思い、山形から来ている作業員の方を取りあげました。

 実は、完成した映画には出てきませんが、山形にも取材に行っているんですよ。仕事がなく、お父さんが単身県外に出稼ぎに行く現象が山形にもある。こうした現実なんかも、本当は映画に入れたかった。震災とか原発事故を扱っているけど、結局、地方がどういうふうに生き残っていくか、どういうふうにこれから生きていくのかを考えることになるのかなと思いますね。

(構成:宮本愛里)

インタビュアー:宮本愛里、田寺冴子
写真撮影:魏肇儀/ビデオ撮影:加藤孝信/2019-10-08 東京にて