岩崎孝正 監督インタビュー
みつめるひとをみつめる
Q: 私は、仙台市に住んでいますが、私自身の震災の被害は本当に小規模でした。なので震災から4年経った現在、被災地がとても遠い存在となりつつあります。そんななか監督の作品は、現在の福島のことを、被災地を身近に感じながら考えられる作品になっていると思います。直接福島の風景を写すのではなく、外から訪れた方たちを通して福島を写すことに、どんな考えがあったのですか?
IT: 今回の作品のテーマとして、風景論というものがあります。この作品は1969年に制作された足立正生監督の『略称・連続射殺魔』という、風景だけを撮っていく映画にインスピレーションを受けています。永山則夫という連続射殺魔がいるのですけれども、出身地である北海道の網走から、集団就職で出て来た東京など、彼の見たであろう風景だけを追っていくという映画なんです。そこにインスピレーションを得て、風景を撮っている人間を撮る風景論、と考えてこの映画をつくりました。
Q: 今回撮られた、ゲイハルターさん、チョン・ジュハさん、露口啓二さんとの出会いや、この映画が作りあげられていった経緯を教えてください。
IT: ニコラウス・ゲイハルターさんは『Sometime』という映画を撮るために、福島に来ました。そのとき、福島で風景の映像を撮っていた僕が、四方幸子さんというキュレーターの方を通してアテンドを頼まれました。そういう紹介もあり、映像を撮っていくなかで、福島を撮っている人たちと繋がりができました。そこから徐々に、風景を撮っている人たちを撮ってみようと思いはじめました。
韓国の写真家のチョン・ジュハさんを知ったのは、写真集『奪われた野にも春は来るか』を見たのがきっかけです。その写真集は、福島の風景ばかりを写したものでした。それから、チョン・ジュハさんの写真展のオープニングトークに行って、彼と知り合ったんです。それで、自分のなかの作品のテーマがちょっとずつ固まっていき、少しずつ撮っていきました。ゲイハルターさんは1回しか来なかったのですけれども、チョン・ジュハさんや、やはり写真家の露口さんは何度も訪れてくれて、僕もその度に案内し、同行させてもらって少しずつ撮りはじめていきました。
Q: 作中の詩の表現がとても印象的でしたが、詩を入れたのはどうしてですか?
IT: 撮影する人を撮影して、インビューするだけだと、たぶん物足りないだろうと思いました。僕は文学理論を勉強していたし、詩の表現を映像の中に入れたら面白いだろうなというのがひとつありました。チョン・ジュハさんの写真展は、南相馬から東京・京都・広島・沖縄、と回りました。僕はそれについて行って、記録撮影をしていたんです。そこで河津聖恵さんという、詩人と出会いました。彼女が写真展を観て、福島と広島を繋げるような詩を朗読してくださいました。そこにインスピレーションを得て、映像と詩を繋げてみたというのが2つめの理由です。また、南相馬に若松丈太郎さんという方がいらっしゃいます。その方は、チェルノブイリの事故が起きたときに調査団としてウクライナを訪れています。そして、そこに何かしらの兆候を感じたのか、福島原発の事故を予感させるような詩を書いているんです。それを冒頭に持ってきて、前の世界と後の世界――兆候がある前の世界と兆候の後の世界を表現したいと思いました。
(採録・構成:高橋仁菜)
インタビュアー:高橋仁菜、諏訪渓樹
写真撮影:鈴木萌由/ビデオ撮影:大木成一朗/2015-09-16 山形にて