イギル・ボラ 監督インタビュー
違う言語や文化をもっている一緒に生きていく人たち
Q: 草原を背景にして手話をしているシーンが、とても綺麗でした。このシーンはどんな思いで撮影されたのですか?
LB: 実は、私もこの手話のシーンは、綺麗に見せたいと思って撮っていました。韓国では聴覚障害者の独自の文化が認められていなくて「助けてあげなければならない人たち」と見ており、「手話という違う言語を持った人たち」という認識は、まだ無いんです。でも私は、彼らは別の言語を持ち、固有の文化を持っている人たちだと思います。「助けなければならない人」ではなくて、「違う言語や文化を持っている、一緒に生きていく人たち」という見方をすれば、私たちはもっと分かり合えると思うのです。そこで、手を綺麗に映すことで、「すごく手が綺麗だな。私も手話を習ってみたいな」と思ってほしくて、このような演出にしました。
実は手話というものは手だけの表現ではなく、表情とセットでなければ成り立たないものなんです。でも、手話のシーンの途中で顔の映像を入れると、観客の気持ちがそれてしまうと思い、このような表現になりました。
Q: ご家族でカラオケをしているシーンを、映画に入れたのはどうしてですか?
LB: このシーンは、短編映画を作るワークショップに参加したとき、試しに母を撮ってみた映像でした。でも、それを試写してみると、お客さんはすごく衝撃を受けているようでした。言葉が話せない人は歌えないと思っていたので、歌っていることに驚き、しかも、すごく楽しそうで美しい、という感想をいただいたんです。私はそれにすごく驚きました。なぜなら、家族でカラオケに行くことは普通だったので、当たり前だと思っていたからです。でも周りの人たちはそう考えていないことを知り、映画に使うことにしました。あのシーンのなかでは、音の聞こえる弟が手話で歌に参加し、音の聞こえない母は口で歌っています。それが私たち家族にとって自然な姿なのです。
Q: 映画のなかで「両親の世界は強固で完璧だった」とおっしゃっているのですが、これは文化が確立されているという意味で、おっしゃったのですか?
LB: たしかに私は、ひとつの文化として、聴覚障害者の世界は確立されていると感じ、このように表現しました。さまざまな資料を研究して、人類学の視点からも、独自の文化が発達していると分かったのです。
また、私たち聴覚障害者の両親を持つ子どもは「CODA」と呼ばれています。そして、みんなふたつの世界をつなぐ通訳者としての境遇を、経験しています。国が違っていてもそこは似ているんだな、と思いました。
Q: ご両親は、この映画にどのような反応をされましたか?
LB: 両親は、自分たちが映っているので嬉しがってました。また、聴覚障害者が主人公で、ありのままの生活が映っている映画を見るのは初めてだったので、喜んでいました。聴覚障害者の方は世界的に見ても少数派なので、どうしてもコンテンツを見るときは、手話や字幕がないと分からない状況になってしまうのです。ところが、この作品は両親にとっては、字幕がなくても分かる映画なのです。たとえば日本人が、言葉の分からないインド映画をずっと見せられていて、ようやく日本語の映画を見られた、という感覚と同じなんです。そういった意味でも、とても喜んで見ていました。
(採録・構成:鈴木萌由)
インタビュアー:鈴木萌由、薩佐貴博/通訳:根本理恵
写真撮影:田中峰正/ビデオ撮影:福島奈々/2015-10-12