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YIDFF 2013 ともにある Cinema with Us 2013
ソノサキニ
島守央子 監督インタビュー

とある男の存在意義


Q: この映画には、監督のお父様の人柄や生き方が何よりも大切に描かれていると感じました。父と子だからこそ撮れたお父様のお姿などはありましたか?

SC: 私は高校生くらいのときから、父に存在意義を探せと言われていました。最初はまったく意味が分かりませんでした。でも、この撮影を通して自分の中に存在意義というひとつのテーマができてきました。父には自分の会社を残すこと、従業員を守ること、お囃子(はやし)という存在意義がありました。

 先生には「目の前にあることにカメラを廻せ」と言われ、最初はずっと被災した町の様子を撮っていたんです。でも途中から、私が今撮るべきなのは父なんじゃないかなと変わっていって。そこで、父の後ろにずっとくっついて撮り続けたんです。父にとっては四六時中、隣で娘に撮られている環境で、最初は嫌だったのかなあ。でも、撮りたいって言ったときも、はじめからすんなり受け入れてくれて。父からしたら「今私に伝えておきたい」と思って喋っていたと思います。今後お前がどう生きるかを考えるきっかけになると思うから伝えておくね、と。作り終わった後、父に「これを機に存在意義をお前が考えられればなあと思っていたよ」と言われました。

 パートさんとも仲良くなれたのは、父のお陰があるかもしれません。父とパートさんはすごく仲がよくてその関係があったからこそ、最初は撮影にちょっと嫌な顔もされましたが、私が何度も足を運ぶうちに「やっぱりあんたは康友の娘なんだね」と言ってくれて。父の会社で働く従業員たちを撮っていて、みんな本当に会社のことが好きなんだなと感じました。インタビューもたくさん撮ったのですが、最終的に使ったのは「あんなモヤシっ子みたいだった康友がさ……」の部分でした。

Q: では、家族という近い距離だからこそ苦労した点はありましたか?

SC: ないと言えば嘘になります。父がショックなときは私もショックでした。近いけど冷たく見なきゃいけない。父にこれから起こることや、くだす決断を冷たい目で見つめなければいけない。そこに、どうしてお父さんばかり辛い目にあわなきゃいけないんだという感情は入れないように、淡々と撮り続けました。

Q: 監督も当事者のひとりであるにも関わらず、ご自身の姿や感情を映さなかったのはそのためですか?

SC: あなたが入るべきだったと、すごく言われます。でも自分が入ってしまうと、どうしてもすごく悲しいというだけで終わってしまいそうで。最初から自分が画面の中に入らないというのは、無意識のうちに決めていたのかもしれません。父という“とある男”の話で、それを撮影しているのが私というだけ。そこに私はあまり必要ないんじゃないかなと思いました。でも、カメラを向けているのが娘の私なので、そこの関係性は見え隠れしているんですが。

 他の家族もそれぞれのインタビューは撮っていません。経営者でもなく父でもなく、“とある男”の決断だからこそ自分が出る必要もないと思えました。ひとりの人間の苦悩と決断を見た人が、「自分の存在意義って何だろう。考えて生きるとどうなるんだろう」って思ってほしくて。

 確かに震災がきっかけで父を撮りました。震災の上映の枠として入れてもらったのは嬉しいのですが、震災の映画というよりは、ひとりの男の記録としてとらえています。震災が起こった今この映画を見るのではなく、何年後かに震災のことは思い出すかもしれないけれど、こういう生き方もあるんだなという見方になる映画になればいいなと思います。

(採録・構成:小滝侑希恵)

インタビュアー:小滝侑希恵、佐藤寛朗
写真撮影:佐藤寛朗/ビデオ撮影:加藤孝信/2013-10-03 東京にて