岩淵弘樹 監督インタビュー
仙台の人間だと感じられた
Q: 作中の監督の「人は何のために生きているのか」という発言が印象的でした。監督はどう考えていますか?
IH: 大叔母の敏子さんがキリスト教徒なのですが、彼女が教会で最初に教えられたことがこの問いで、「神様や人を愛するため」だと教えられたと聞きました。それを聞いて、生きることと愛することのつながりを感じました。さらに、別のシーンでは、仕事帰りの友人は照れくさそうに「家族のため」と答えました。このように、大叔母も友人もこの問いに対して明解な答えを持っていました。それが嬉しかったですし、尊重したいです。僕はまだ、生きることや愛することについての答えを見つけていないのでなおさらです。自分が心の底から信じられるようなものが分かった時に、はっきりこの問いにお答えできるようになるのかもしれません。
Q: 現地へ行って撮影した時、何を思われましたか?
IH: 震災について、自分の心境の変化より、環境の変化そのものを記録したいと思いました。なぜなら自分の心境は、情報の氾濫のなかで把握さえできていなかったからです。物言わぬカメラを構え、自分も口をつぐんでいました。ただ、実家の仙台のことが心配で、自分の目で確認したくて帰仙しました。仙台では、夜の7時なのに人気のないアーケードや、炊き出しの様子、壁に貼られたたくさんの人探しのチラシを見ました。そして、この町はひどい目に遭い、ここの人たちは想像し難いくらいに辛抱していたのだと感じました。その時に初めて、カメラで自分の思いも撮りたい、残しておきたいと思ったのかもしれません。自分の故郷が傷ついたことをしかと見つめる方法のひとつが、自分にとってはビデオカメラで撮影することだったのだと思います。
Q: 監督は作中で、光のページェントやyumboの楽曲が印象的とおっしゃっていましたが、詳しく教えてください。
IH: 2011年3月20日に、避難所として使われていた「火星の庭」という古本屋さんでのライブ映像を、yumboがYouTubeに発表していたのですが、僕は知らずにたまたま見たんです。荒い画質の中にある、演奏者たちの後ろにあった照明を見た時に、あたたかいものを感じました。それは、身を寄せ合って避難している人たちのつながりの温度だと思いました。同時に、避難しなければならない辛さを光の眩しさと共に感じ、仙台の「火星の庭」のある一番町という町を思いました。光のページェントに関しては、2011年5月に、そこで使われる約10万個のLEDライトが津波で流されたというニュースを見て、今年は開催するのか不安に思ったんです。もともと何も変わらないものはないと思いますが、今まであったものがなくなるというのがショッキングでした。ただその何カ月か後、開催するという発表があって、僕はもともと仙台が故郷なので、その時に、光のページェントが仙台のクリスマスで象徴的なお祭りだということを思い出しました。今回はプロデューサー兼撮影の山内大堂さんと録音の辻井潔さんの3人で制作し、バタバタと仙台のクリスマスをめぐりました。それが今までで一番印象的なクリスマスかと思います。
(採録・構成:鵜飼桜子)
インタビュアー:鵜飼桜子、藤川聖久
写真撮影:西山鮎佳/ビデオ撮影:加藤孝信、鈴木規子/2013-10-06 東京にて