チョン・ジユン 監督インタビュー
ひとりの女性の生き方
Q: お母様と離れていた7年間の空白の時間をうめようと思ったきっかけはなんですか?
JJ: きっかけは、今回の映画にはあまり出ていない部分です。人間の社会では、戦争が起きたり、いろんな暴力が蔓延しています。私は人間の無力さ、虚しさについてずっと考えていました。そんな矢先に、知人ふたりの死に直面しました。人生の何らかの目標に向かっていた人が現実に打ち当たったときに生き方を変えてしまう人もたくさんいました。そういう状況の中に私は身をおいていたので、自分はなんて無力なのだろうと考えるようになり、いろんな人に詫びたい、謝りたいという気持ちがとても強くなっていきました。そこで今回の作品を撮ることになりました。
Q: 身近な関係だからこそ見られるお母様の寝顔、お化粧をしているシーンがありましたが、このシーンをいれた意図はなんですか?
JJ: この作品を撮る前の10年間に、私と母は3、4回しか会っていません。母といってもいまだに知り合いの人という感じで、まだぎこちなさが私たちの間にはあります。そのため、質問にあるシーンは会えなかった時間の再現とも言えますし、私の記憶に残っている断片でもあります。記憶の中にある母の姿というのは、寝ている姿だったり、どこかに出掛けるための準備をしている姿だったり、つまり家の中にしっかりいる姿ではないです。もうひとつの大きな理由は、私と母はあまり関係が深くないのですが、質問にあるシーンというのは、まるですべて脱ぎ捨てたような姿ですよね。普通は、他の人、外の人には見せない正直なありのままの姿です。だから、そのような姿を目にした時の自分の気持ちも表現したいという思いもあってこのシーンをいれています。
Q: お母様がすべてを脱ぎ捨てた姿を見せてくれたことを監督はどのように思われましたか?
JJ: 母はいつでも完璧なイメージがあったので、そういう姿を見せてくれて本当にびっくりしました。映像をご覧になったらわかると思いますが、母の話し方や使っている単語が俗に私たちが日常で使っているものと違いますよね。でも、母は普段からこのような話し方をします。そのため、ああいった母の姿を見せてくれたときには、この人も寂しいところがあるのではないかと思いました。
Q: ナレーションで監督ご自身のことを一人称ではなく、「女」と三人称で呼んでいますがなぜですか?
JJ: ナレーションは私の考えを伝えられる道具です。ただ、下手したら自分の感情を過剰に押し出してしまう危険性も孕んでいます。それを避けるために、できるだけ距離をおくことにしました。母を自分の母親としてではなく、ひとりの女性として受け止め、彼女の人生における告白を私が客観視するために、自分のことをあえて三人称で呼んでいます。この映画は、母と娘の物語ではなく、私が客観的にひとりの女性をみつめて撮った作品です。ひとりの女性が自分の人生を一所懸命に生きた記録であると位置付けています。
Q: お母様の告白によって、空白の時間を埋めることはできましたか?
JJ: 母が辛い過去を告白するまで時間がかかったけれど、私が娘でなかったら話してくれなかったかもしれません。私のことを愛してくれているから話してくれたと思っています。
(採録・構成:小川通子)
インタビュアー:小川通子、小滝侑希恵/通訳:根本理恵
写真撮影:山崎栞/ビデオ撮影:山崎栞/2013-10-14