ノンタワット・ナムベンジャポン 監督インタビュー
紐解く
Q: 私はタイとカンボジアに行ったことがあり、この作品で両国が争っていることを知って複雑な気持ちになりました。私はどちらの国も好きで、そこに境界線はなかったので……。
この作品は境界線が大きなテーマとなっていますね。私は、若い世代と年配の世代の死に対する考えかたの違いが、一番印象に残っています。監督はこの違いに対して、どのように思われますか?
NN: 私は若いので、年配の人の考えははっきりとはわかりませんが、若い人が死に対して恐れを抱くのは当たり前ですよね。だって死が身近にないのですから。映画の中で爆撃シーンがありますが、あれは実は、YouTubeで有名な映像を取ってきたものなんです。若い世代にとって、争いごとは映像の中の世界でしかありませんでした。50年前は戦争で死ぬことは当たり前だったかもしれないけど、それはもう昔のことです。国境線を明確にすることを、今も引きずっているのは古臭い、それが若い世代の考え方だと思います。
Q: この映画は、監督の「違和感」から始まったとありますが、「違和感」とは何なのでしょうか?
NN: 違和感が生まれたのは、バンコクの広場に集まった赤シャツ派の強制排除に対する、友人たちの反応からです。今までは、私も友人たちも政治に関して興味はありませんでした。ところが、そのことに関してはみんな過剰に反応しました。衝撃的だったのは、普段は優しい友人が、赤シャツ派に100人もの死者が出たことに対して、Facebook上で「ざまあみろ」とコメントしたことです。1週間もバンコクの機能が停止したことは、都市部の人にとって迷惑な出来事ではありました。しかし、その友人の豹変ぶりを見て私は混乱していました。
そんなとき、地方出身でありながら、兵士として赤シャツ派の強制排除に携わったオードに出会ったのです。上の命令に逆らえない、でも赤シャツ派は地方の貧しい人々の集まりです。オードも混乱の中にいました。このひとつの出来事が起こした様々な混乱を理解しようと、私の旅が始まったのです。
Q: ひとつの出来事に対して、様々な立場、意見があるのですね。
NN: 本当は、みんな同じ立場のはずなんです。たとえば、新年のお祝いにしろ、都市部と地方で迎え方が違うけれど、新年を祝うという目的は一緒ですよね。平和に暮らしたいというのも、みんなにとって共通のものです。しかし、赤シャツと黄シャツ、生と死、地方と都市、様々な境界が存在することで事態が複雑になっていくのです。この映画には、10以上もの境界線が描かれています。一番のテーマ、境界線はタイとカンボジアですけれど……。
Q: 3年もの撮影期間を経て、多くの境界線と向き合ってきたのですね。撮影を通して監督の混乱、違和感は解消されたのでしょうか?
NN: この撮影を通して感じたことは、世界に真実はたくさんあるということです。だから、私はこの映画のなかで真実の掘り下げはしていません。真実は、それぞれの人の会話の中にあって、タイ側の意見、カンボジア側の意見、それぞれ違いますが、それが各々にとっての真実なんです。私は多くの境界線と向き合った結果、それぞれの違いを受け入れられるようになったと思います。だから、みんなが対立するのではなく、お互いの違いを受け入れられたのなら、「私はあなたに敬意をはらう。そしてあなたも私に敬意をはらう」。そうできたのなら、戦争は起こらないのに、と思いました。
(採録・構成:永田佳奈子)
インタビュアー:永田佳奈子、西山鮎佳/通訳:高杉美和
写真撮影:野村征宏/ビデオ撮影:野村征宏/2013-10-11