デビューまで
私は山形で育ちました。元々根は明るい性格なのですが、小学4年生くらいのときにいじめにあって、6年生頃まではすごくおとなしい子でした。その頃は、女優さんになるなんて全然考えていませんでした。中学に入ってからはいじめられることもなくなって、もとの自分に戻れたと思います。元々映画や音楽など芸事が好きだったので、その頃山形に来たものは殆ど見に行きました。映画は好きでしたね。邦画だと森繁久彌さんの映画が好きでした。小さい頃に「駅前シリーズ」の映画撮影が山形に来て、うちの近くで撮影していたので、いいなぁと思って見ていた覚えがあります。ああいう喜劇が本当は好きですね。時代劇だと市川雷蔵の大ファンで、全部見ました。けれども、実際に自分が出演した映画は小難しい映画ばかりで、私の趣味ではないのですよ。『新宿泥棒日記』のイメージのせいか、小難しい雰囲気の映画の出演依頼がよく来ますが、本当はあまり好きではありません。大島(渚)さんの作品も若松(孝二)さんの作品も、今の若い人に人気があって、海外でも有名ですね。当時は東京の街全体が今よりずっと自由で活気があったから、若い人があの時代に憧れるのは分かります。
山形から出てきて、最初は劇団青俳の研究所にいました。当時の演劇青年は酒場でたむろしてディスカッションをするのが好きで、その席に偶然大島さんのプロデューサーの方がいて「今度作る映画の主人公にぴったりだからオーディションを受けてみないか」と誘われました。おもしろ半分で受けたのですが、1カ月以上返事がなく、諦めていたのですが、ある日電話がかかってきました。カメラ・テストをやったら「はい、あなたで決まりです」と。台本も渡されずどんな映画なのか知らずに決まってしまって、いざ台本を読んだらまったく分からなくて「何これ……」と。若松さんの『天使の恍惚』もとても過激な内容で「こんなの嫌」とマネージャーに伝えたのに、「もう決めたから」といわれて。テレビの仕事では、私が好きだった時代劇ものの喜劇など人気作もやっていたのですが、私の代表作というと『新宿泥棒日記』 や『天使の恍惚』になってしまうようですね。今でも印象に残っている現場は、京都大映で時代劇の撮影をしていたときです。勝新太郎さんが私のことを気に入ってくれました。非常におもしろい方で、その頃が一番楽しかったかなぁ。あとは、松竹で悩みを抱えた高校生が家出して四国を旅するという『旅の重さ』(斎藤耕一監督)という映画があって、私は旅芸人の役だったのですが、可愛らしくきれいな映画でした。割合好きな作品です。
今後、銀幕に帰る予定ですか? 私の年齢では今の映画にはあまり役がないかな。映画は好きですし、本当はたくさん見たいのですが「見たい!」と思う作品があまりないですね。でも、最近『木漏れ日の家で』というポーランドの映画を見ました。99歳のおばあさんがすごく綺麗にそのまま99歳の役をやっている映画でした。あまり浮ついたものではなくて、こうした情感のある作品が日本でも作られればいいなと思います。とはいえ、時代とともに映画もいろいろ変わっていくものなのでしょうね。
(採録・構成:岩槻歩、慶野優太郎)
インタビュアー:岩槻歩、慶野優太郎
写真撮影:木室志穂/ビデオ撮影:木室志穂/2011-09-24 東京にて