モハマド・シルワーニ 監督インタビュー
イラン女性と台所
Q: 監督にとって台所という場所が持つ意味とは何ですか?
MS: 当然台所というのは食べ物を作るところです。イランでも日本でも食べ物は非常に重要なものです。もっと昔に遡ると、台所というのはもっと広い場所でした。ペルシャ語で料理というのは、正確に訳すと料理の技術という言い方をします。それはアートという言葉を含みます。英語に直訳すると「cooking art」という意味になります。料理はアートですからアトリエも広ければ広いほど、設備があるほどいい作品を作ることができるのです。過去50〜60年の間、人口が多くなったと同時に家が小さくなって、家が小さくなると同時に台所も小さくなっています。この作品を見ていただくと皆さんがいい台所とおっしゃってくださるのですが、自分たちから見るとほんとに普通の台所なのです。
Q: 作品の中で「腰が痛くても外食はいやだ」とおっしゃっていた女性がいましたが、イランでは外食にあまりいいイメージがないのでしょうか?
MS: この映画には、様々な世代の7人の女性が出演しています。100歳から20代の私の妹までが出演しているのですが、その中で外食を好まないと言っていたのは、若い女性ではなく上の年代の女性です。若い世代は自分の時間をそんなに台所で使いたくないので、ファーストフードやレストランを利用します。若い世代にいけばいくほど、台所の形式や台所で過ごす時間が変化し、現代風です。なので一番若い女性ふたりがこの伝統的な雰囲気、時間がとてもかかる生活から自分を解放したい気持ちがあって、ああいう結末を迎えた訳です。
Q: 作品に登場する女性のなかで、100歳の女性は料理することから解放されているという点で他の女性たちと異なります。他の女性たちと比較するために彼女を登場させたのでしょうか?
MS: そうです。この100歳の女性は唯一台所にいない、他の女性の未来を暗示していて、他の女性たちも将来このようになるのではないかと。彼女の息子が彼女に愛を示していたこともイランでは普通のことです。イランの社会の中では、父親もそうですが、特に母親はとても子どもたちに愛されている存在なのです。
Q: 台所についてほとんど知らなかったということですが、作品を撮り終えた今はどうでしょうか?
MS: 女性に対する関心、尊敬がもっと深くなりました。そして食べ物にも感謝の気持ちを持つようになりました。今はもうお腹を満たすためだけの食事はしません。食事の際、この料理の中にどのようなものが入っているのか、どういう過程でここまで来たのかということに興味を持つようになりました。台所に入ることも頻繁になりました。もし、いつかまたパートナーとひとつ屋根の下に住むことになったら、彼女にお料理をしてほしいとは思わないでしょう。どうしてもおいしいものが食べたくなったら、母親と同じものを作れるシェフを雇うかもしれません。あなたがたも母親の味を作れるロボットを手に入れてください。この作品をみなさんはおもしろく見てくださったかもしれませんが、私にとってはちょっと苦い作品です。家庭の母親たちが台所の中で私たちのために自分の若さと体を使っていくのを見るのは心が痛みます。そして、女性が台所で過ごしすぎているのではないかと思いました。台所にあんなに長い時間立つよりも、自分のことをするためにもっと有効に使えるのではないかと。なので、自分としては母親のとてもおいしい料理を諦めて、その代わりにこれからの女性たちがもっと楽しく有意義な生活を送れることを望みます。
(採録・構成:木室志穂)
インタビュアー:木室志穂、新垣真輝/通訳:高田フルーグ
写真撮影:千葉美波/ビデオ撮影:石井達也/2011-10-10