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YIDFF 2011 アジア千波万波
髪を切るように
サリーム・ムラード 監督インタビュー

すべての人たちへ


Q: モノクロに映えるピンク色がきれいで、実験的な映像表現が印象に残る映画でした。私はまずこの映画の題名にひかれたのですが、監督が髪を切ろうと思った理由はなんですか?

SM: この映画にでてくるピンクとモノクロの映像で、私は自分の中にある死という暗くてもやもやしたイメージの中に命という輝きを浮き彫りにしようと思いました。この旅に出た時、私は愛する人がそばにいなく、とても不安を感じていて、悩んでいました。この映画は哀愁や寂しさなど、小さいことがひとつひとつ集まってできた映画で、そんな悩み事から抜け出せない自分を変えようと思い、髪を切りました。

Q: 映画の舞台であるコペンハーゲンと故郷であるベイルート、それぞれどんな思いがありますか?

SM: 私はこの映画で、そのふたつの街にあるイメージを融合して、私の頭の中にある新しい「第三の都市」を作りたかったのです。初めてコペンハーゲンに行った時、言葉も通じないうえに知り合いがいないという疎外感を感じていました。ですが、街にカメラを向けていくうちに、とても美しい街だということがわかったのです。ベイルートには美しさはありませんが、街は人々の活気にあふれています。そこで映画の中でベイルートの音を、コペンハーゲンの映像につけて、私の頭の中にある新しい都市を見いだそうとしました。

Q: エリオにむけた内容の映画でしたが、最後に「To you, whoever you are」という台詞が出てきます。この台詞は誰に向けられているのですか?

SM: 確かに冒頭では、エリオに向けて話しています。しかし映画を作りながら、エリオという個人的な相手だけではなく、もっと全人類という大きな存在に目を向けるべきだと考えたのです。芸術家の目的は、自分に無関係な人や心を閉ざしている人にも心を開き、すべての人に向けて訴えることだと思います。またそれが私の使命だとも感じます。だからこのメッセージは、この映画がエリオだけでなく、彼を含めたすべての人に向けられているという意味がこめられているのです。

Q: 監督自身がこの映画に出演していることについては?

SM: 私はもっと映画監督は自分の映画に出演すべきだと思います。なぜかというと、監督は監督自身と対話することが必要だからです。確かに映画監督は、舞台袖に下がって映画作りをするのが一般的です。しかし映画で監督が自分の考えを観客に伝えるためには、まず自分自身をよく知らなくてはいけません。演出家として映画に出ることで、自分を理解することにもつながると思いますし、自分の表現力の可能性を広げることにもつながります。今回旅に出る前に、私はデンマークについて調べてみました。その時いろんな事件やデモのニュースがあることを知りましたが、私は自分自身の目でその街を見て直感で感じながら映画を撮ることが大事だと思いました。なぜなら映画は日々の疑問から生まれるものだからです。今回の旅で私は5週間ずっと映像を撮り続けました。すると街を撮っているうちに、だんだん自分のスタイルが見えてきて、新しい自分の表現が見いだせるようになりました。いつもだとプロデューサーに圧力をかけられたりして自分のやりたいことができなかったりしますが、こういった普段はできない、枠にとらわれずに自分の意志で撮る自由な映画制作から新しい表現が生まれると思います。

(採録・構成:二瓶知美)

インタビュアー:二瓶知美、岡田真奈/通訳:平野加奈江
写真撮影:田中美穂/ビデオ撮影:市川恵里/2011-10-06