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YIDFF 2005 日本に生きるということ――境界からの視線
花はんめ
金聖雄(キム・ソンウン)監督インタビュー

出会うべくして出会ったはんめたちの物語


Q: おもしろくて観た後に元気になる作品ですが、どういう経緯で、はんめ(おばあちゃん)たちを撮影することになったのですか?

KS: 直接のきっかけは、母が1999年に亡くなったことです。母はいわゆる“在日一世”なわけですが、母の人生というものを、自分はあまり知らなかったのではないか、と思ったのです。そんな時期に、川崎で、今回映画の主人公となる在日のおばあちゃんたちと出会いました。彼女たちも在日一世です。母の姿と重なったのかもしれません。別の仕事で、川崎ふれあい館のヘルパーさんたちを撮影していたのですが、たまたま、おばあちゃんたちがスーパーに買い物に行くのについていくことになり、おばあちゃんたちが水着を試着して、大はしゃぎしている姿に出会ったわけです。その、まぶしいばかりの彼女たちを撮りたいと思い、それから事あるごとに通い続けて、結局4年間かけて、おばあちゃんたちを撮影することになりました。

Q: この作品の中では、おばあちゃんたちの人生の中で、“在日”として歴史や政治に翻弄されて、苦労した部分は、あまり出てきませんね。

KS: 在日一世の姿は、歴史の証言者、いわゆる過去を描くという側面で、注目されてきたわけですが、まず“在日”ありきではなく、僕がたまたま出会ったおばあちゃんたちの、今の姿を撮りたいと思ったのです。彼女たちがどのように生きてきたかということは、あまり多くを説明しなくても、映像の力で伝わるのではないかと思いました。「夢はなんですか」と質問していますが、「普通に食べることができて家族がいる、普通の暮らしができることが夢みたいなものだ」という一言を聞いた時に、ああ、この人たちはすごい人生を送ってきたのだろうな、と思ったのです。その時により一層、僕が彼女たちの過去について、さもわかったように説明するよりも、70、80歳でようやく手に入ったささやかな時間を、おもいっきり生きている姿を描こうと思ったのです。もちろん、彼女たちの人生はそんなきれいごとだけではなく、僕が関わった映画『戦後在日五〇年史 在日』に描かれているような、激動の歴史を生き抜いてきました。実際に彼女たちから出てくる話は、苦労話が多かった。あるおばあちゃんは、徴用されて日本で働き、戦後も帰るに帰れないまま、祖国が分断される中で、大変な苦労をして生きてきた。純粋に、祖国に尽くしてきたことを誇りとして生きてきたのに、昨今の政治状況から、その誇りもずたずたにされていく姿も、目の当たりにしました。けれども、だからこそ、彼女たちがしたたかに、しなやかに今を生きている姿に、僕は心を動かされたのです。そして、彼女たちの人としての深さや強さを、そのしわの一本一本や笑顔の中に、丁寧に映像として収めたいと思ったのです。

Q: 監督にとって『花はんめ』はどのような作品になりましたか?

KS: 映画『戦後在日五〇年史 在日』に関わり非常に大きな経験をした後、それをベースに、自分の作品を模索していた時、在日のおばあちゃんたちとの出会いがありました。今から思えば、彼女たちが元気だった時は、3年ほどだったわけですから、出会うべくして出会って、作り上げることのできた作品だったといえます。歴史の狭間で、教育を受ける機会もない中で、毎日を生き抜いてきたおばあちゃんたちの持つ、枠にはまらないエネルギーに出会えたことは、人生でとても貴重な出来事だと思います。より多くの人に観ていただきたいと思っています。

(採録・構成:加藤初代)

インタビュアー:加藤初代、橋浦太一
写真撮影:橋浦太一/ビデオ撮影:加藤孝信/ 2005-09-22 東京にて