『記憶の再生』
ヴァルン・トリカー 監督インタビュー
「夢」というモチーフ
日下部克喜(以下、日下部):本作はエストニアの少数民族セトのコミュニティーが舞台になっています。まずはじめに、国境地帯、いわゆる分断された土地とも言えるこの地域を、撮影対象に選ばれた理由を伺えますでしょうか。
ヴァルン・トリカー(以下、トリカー):撮影から8年経って振り返ってみると、私自身がこの場所を選んだというよりも、あの場所が自分を選んだように思えます。そこであったことを段階的に説明はできますが、説明したところであまり意味はないと思います。8年前にエストニアを訪れたとき、なんとなく寂しいような、孤独を感じるような、それでいてひとりぼっちではない、という気持ちでした。なにか喪失感のようなものがあって、またそうした「喪失感」という概念に惹かれた時期でもあったように思います。ですので、自分があの場所に行ったのか、あるいはあの場所に導かれたのかは、はっきりしません。ただ、自分のなかにあった気持ちにしたがったことはすごく良かったと、あとになって思います。そういう感覚になることはあまりないですし、私が意識的になにかをしたというよりも、むしろ私の中にある感情に導かれてそうなった、ということだったからです。
日下部:感情という話では、映画のファーストシーンから、まさに監督の喪失感が映し出されているかのようでした。催眠療法を受けているようなシーンから始まり、すぐに森のなかを彷徨う映像に切り替わります。まるで監督ご自身の内面世界、あるいは夢の世界を見ているかのようでした。映画では自分が見た夢の話をするセトの人々が登場しますが、なぜ夢というモチーフを描こうと考えられたのでしょうか。
トリカー:映画監督の中には、自分は何者か、あるいはなにが起きているかを理解したくて映画を制作する方が多いと思います。私の場合、今回は夢をどう理解するのか、夢という言語がどういうものなのかを映画にしたいと思いました。映画に登場する3人とは本当に不思議な出会いで、偶然に出会ったわけですが、最初にエヴァという男性と会ったとき、はじめに聞いた質問が「君が最後に見た夢はなに?」でした。エヴァは驚きながらも、作品に収めている夢の話をしてくれました。彼がその話をしてくれたのはあのときだけで、彼自身の内に秘めておきたい話だったので、そのあとは話してくれなかったのですが、そこから、この旅路のトーンが決まりました。「最後に見た夢はなにか?」というのが、自分の中から自然に湧き出た質問で、それが全ての始まりだったと思います。
日下部:映画では、分断された土地に暮らすセトの人たちの夢の話と、監督のおじいさんにまつわる夢の話が、おじいさんのブリーフケースが見つかったというエピソードを境にして繋がっていくような印象を受けました。このブリーフケースという存在は、監督にとってどのようなものだったのでしょうか。
トリカー:あのブリーフケースが何なのかということは、今も自分の中で理解をしようとしている最中で、はっきりとお答えすることは難しいのですが、ただひとつ言えることは、トロントに最近引っ越した際に最初に持っていこうと決めたのはあのブリーフケースでした。感覚的に、私自身も今の世の中では難民なのだということを感じていて、その点で祖父と同じだと思っているのですね。そういうわけで、あのブリーフケースは、自分を前に進めるために必要なものなのだと思います。
自身の内面を映画に反映する
日下部:お話をうかがって、本作が、監督ご自身の喪失感や自らの出自に関わる映画なのだと深く得心しました。映画の冒頭とラストにカウンセリングのシーンがあり、ご自身の孤独と向き合うような作りをされていますが、そのような構成にした意図をお聞かせいただけますか。
トリカー:この映画は、私の物語であるだけでなく登場する人たち、3人の物語であり、全てが循環していて、終わりからまた最初に戻るということを表しており、だからそのような構造にしたのです。催眠療法のシーンは元々、この映画のために撮影したわけではなく、別の旅路のためのものでしたが、編集中にセッションのことを思い出してその録画を今作に使いました。そのシーンを挿入したことで、自分にとっても急にこの映画の意味が明確になったと思います。
日下部:3人それぞれの物語が、非常に特徴的な死者への想いを綴っていると感じました。最初に出てくるアイノさんは自分の息子を幼くして電車の事故で亡くしてしまったという喪失感に何十年も苛まれて苦悩の中にあります。次に出てくるエヴァさんは、おじいさんとおばあさんが亡くなったことに想いを馳せながら日々の祈りを捧げている、祈りを体現する存在だったと思います。最後に出てくるレアさんは、亡くしたお父さんと夢の中で会うことで、死んだ人と常に一緒に存在できるということに癒された、既に救済された存在だと感じられました。そこに、「苦悩」と「祈り」と「救済」というような3つの段階があるようにも見えます。その背後にあるキリスト教的な世界観が、先ほど監督ご自身から伺った「循環」というキーワードにつながっていくのではないかと感じました。そうした祈りを中心としたキリスト教的世界観というのは、作品の背景としてあったのでしょうか。
トリカー:興味深い質問です。実はエストニアに行く前にインドのゴアで仕事をしていたんですが、その時に、宗教がどのように理解され、地元の文化につながっているのかを観察しました。ゴアでは、インドのお国柄が背景にあると思うのですが、明確にクリスチャンとは分からないようにキリスト教を信仰しているわけです。セトのコミュニティーを最初に訪れた時、ここで実践されている宗教的慣習に出会い、強く魅かれました。セト民族である彼らは正教会のクリスチャンですが、みなが正教会のクリスチャンとして信仰を実践しているわけではありません。彼らのフィノ・ウグリックとしてのアイデンティティ、つまり昔ながらのペイガン的文化が彼らの宗教に染み込んでいます。それはある意味、古くからの宗教・アイデンティティと、のちに入信することになる正教会のキリスト教が対話しているようなものです。この映画の宗教的な要素に着目してもらったのははじめてです。資金集めに時間を要したので、実際に完成するまでに時間がかかり、ある意味私にとっては本作は2年前に編集作業を終えた時点で、完成していたのです。ですから近いものと感じると同時に遠いものでもありました。こうして話をしていて、いま改めてこの映画について再び考えることができて、まるでセラピーを受けているような感覚になっています。
この映画以前の映画では、なにか自分が仮面をかぶっているかのような感覚でした。自分の気持ちを表現するときに、それをアウトプットできるような対象やコンテクストを探していく感じでしたが、この映画で、私ははじめて自分をさらけ出したといえます。この映画は、自分にとってフィルムメーカーとしての新しい一歩として、新しい表現の仕方として、自分をさらけ出したのだといえるのだと思います。
採録・構成:日下部克喜
写真:小関央翔/ビデオ:大下由美/通訳:中沢志乃/2023-10-06
日下部克喜 Kusakabe Katsuyoshi
山形県寒河江市生まれ。山形国際ドキュメンタリー映画祭山形事務局元事務局長。大学卒業後、映画館勤務、自主上映活動を経て、2007〜2019年まで映画祭事務局にて運営に従事。現在は高齢者福祉に携わりながら、『キネマ旬報』ほか各誌に映画批評やコラムを寄稿するなど、文筆活動を行っている。