『ルオルオの青春』
洛洛(ルオルオ) 監督インタビュー
「草場地ワークステーション」での活動
秦岳志(以下、泰):ルオルオ監督が参加している「民間記憶計画」について、最初に私が知ったのは、2016年の台湾国際ドキュメンタリー映画祭での特集上映でした。沢山の関係者のみなさんが中国本土から参加していました。その時にジャン・モンチー監督をはじめとした若い人たちにも大勢会いました。でもその時はまだ、中国で過去にあった大飢饉やそれに関連した政治的事件の記憶を若い世代が受け継ごう、調べていこうというプロジェクトとして認識していました。しかしその後、モンチー監督やルオルオ監督の作品を追っていくと、皆さんの興味の対象は飢饉や政治闘争といったいわゆる「大きな物語」ではなく、むしろとてもプライベートな時間や記憶を撮っていく方向に向かって行きます。日本で言うと90年代後半から始まるセルフドキュメンタリーという流れがありますが、それと一部共通するような、自分の身の周りの生活や地域の人々にカメラを向けていくということをとても意識されている。そういう意味では、日本の作家たちが辿ってきた道とはまた別の文脈で、新たなドキュメンタリー映画作りの手法を開拓していっているように見えます。
洛洛(ルオルオ/以下、ルオルオ):「民間記録計画」に先立ち、2005年から始まった「村民映像計画」というものがありました。ウー・ウェンガン(呉文光)監督たちが、農民にカメラを渡して彼らが自分の村を撮るというプロジェクトです。「民間記録計画」はそれを引き継ぐ形で2010年から始まり、村民たちの他にも映像に興味を持つ人や学生などの若い世代の人たちも加わりました。参加者がそれぞれ自分に縁のある村を再訪してカメラを回す。自分や両親の出身地だったり、更に遡って祖父母の世代の出身地であることもありました。 その時プロジェクト全体のテーマとして設定したのが、中国では「三年飢饉」と呼ばれる事件で、当時の記憶を村人たちにインタビューするという形でスタートしました。しかし次第に課題が見えてきました。まず、そもそもそのような帰るべき「村」がない、という人たちがいました。そしてとりわけコロナ禍になってからは帰ることそのものが物理的に不可能になりました。そこで皆で軌道修正した結果が、物理空間としての実際の村ではなく、自分自身の心の中にある「村」を探求しようという方向性です。この「草場地ワークステーション」と呼ばれるウー・ウェンガン監督が主宰する集まりに参加している多くの人が今、自分の「村」を失っているっていう状態にある。そのことがこのプロジェクトのひとつの大きな特徴になっていると思います。
秦:『ルオルオの青春』の中には、マスクを使ったオンラインでのパフォーマンスのシーンや、ルオルオさんが地図を指し示しながら草場地ワークステーションの参加者が住む土地を指し示す場面が出てきますが、あれもそういう探求活動のひとつなのでしょうか。
ルオルオ:ウー・ウェンガン監督やジャン・モンチー(章梦奇)監督は以前から演劇的パフォーマンスを取り入れた作品を多く作ってきていて、その流れで「ウイルスを読解する」という作品が構想されました。当時まだロックダウン中だったので、当然のようにオンライン演劇として制作しました。マスクを使っていたのも、マスクと人は切っても切り離せない関係にある、そのことが私達の精神に与えた影響を考察するという文脈です。ですからあれは私の映画のために何か特別にやっているわけではありません。生活しながらリハーサルに参加していた私自身の当時の状況をそのまま撮影し、自分の作品の一部になったという形です。また、地図上で仲間をひとりずつ探していく場面ですが、私は元々中国各地に散らばっている仲間たちを地図上で探していくということを個人的にやっていたんです。その話をグループ内で話したらウー・ウェンガンさんが非常に気に入ってくれて、演出のアイデアを色々提案してくれたんです。なので、作品の中では演出が入った形になっていますが、元々は私がただ自分のために地図上で仲間の住む場所を探していた、そういう生活の一部から生まれたシーンです。前作『ルオルオの怖れ』(2020, YIDFF 2021)の中では、地図の場面をチャプター区切りみたいに使いました。ですので、その場合はもう映画のために特別に撮影しています。オンライン作品としての演劇はその後、ドイツと台湾国際ドキュメンタリー映画祭で上演されました。ライブでのオンライン上演でした。
日記、そして家族でカメラを回す
秦:前作『ルオルオの怖れ』はコロナの中での不安・怖れもあったでしょうし、それぞれ個人が孤立してしまっている、交流ができない状況の中で、どうそれを克服していくかという試みだったと思うのですが、今回コロナ状況の変化もあり、ご自身と父親の過去について掘り下げていく方向性になっていて、さっきの話で言うと「民間記憶計画」の流れがもちろんあるんだと思いますが、それがとても面白かったです。例えば文化大革命が終わった後、ガラッと雰囲気が変わって色々と文化が再び花開いていくそんな時期にまさに多感な年代だったルオルオさんの気持ちが、日記に素直に表れていて大変魅了されました。例えばある男性から言い寄られた話もあれば、同時に当時の政治的状況にも常に意見している。日本との関係でいえば高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』(1976)のエピソードが秀逸ですね。日本でももちろん大ヒットしていたわけですが、中国でもあんな風に「自分たちの映画」だと受け取められていたというのはとても新鮮でした。人々の意識がどんどん開かれていっていた時代だったこともあり、カメラで身近なものをただ見るだけで何でも新鮮に見えるというのも、実感がとてもダイレクトに響いてきました。
ルオルオ:当時、実際にそこに生きている時に「あー、今時代が変化している」という感覚は実はありませんでした。私の日記は、もう本当に流れるようなとりとめのないようなもので、考えも本当に浅はかだったなと思って、日記を読み返しました。字も汚いし、恥ずかしい限りなんですが、ただ当時、例えば『君よ憤怒の河を渉れ』を見たのはおそらく日本で公開されて間もない頃で、中国でも新作映画として大々的に公開されました。それは1978年11月26日、私が住んでいた米易県の映画館で見ました。このくらいはっきりと覚えているんです。文革が終わって2年足らずでしょうか。閉ざされていた扉が開かれて、国外から物や文化を取り入れるという流れの一環としてこの映画が入ってきました。すごく新鮮でした。特に高倉健と中野良子のふたりのラブロマンスがなんてロマンチックなのって。ひるがえって現実の私の周囲にいる男性たちに対しては、実際のところは、私はあまり興味がないというか、全く惹かれませんでした。『君よ憤怒の河を渉れ』を見て高倉健のような「白馬の王子様」に憧れましたが、現実にそんな人がいるわけがないですよね。本当に若かったなと思うんですが、私は結構そういうファンタジーに魅了されていたんです。
秦:この作品でもうひとつ光っていたのが、ルオルオさんとずっと一緒にいるお孫さんの存在です。もちろん、忙しい娘さん夫婦から偶然預かっていたタイミングということでしょうが、ルオルオさんのお祖母さんについての話も出てくるので、お孫さんも含めて5世代ぐらいのストーリーがひとつの作品の中に入っている。特にお孫さんがちゃんと本気でルオルオさんの若い頃の話に興味を持って聞いているっていうのが伝わってきて、とてもいい子だなって思ったのと、でもそれでもお孫さんはお孫さんなりにこれからの未来を生きるんだなっていうことが、見ていてありありと理解されて。そういう一家のプライベートな話の中に、この間の中国の大きな歴史のうねりみたいなのものも浮かび上がってくる。特に驚いたのが最後の数分です。みんなお互いにカメラを持って撮っているじゃないですか。お孫さんが演奏しているお爺ちゃんやルオルオさんの踊りを撮っている。すると今度はお孫さんが自分のことをカメラに向かって語り始める、それをまた別のカメラでお爺ちゃんが撮っている。それまではルオルオさんがカメラを家族に向けるという、とても古典的な、撮る側・撮られる側の上下関係だったものが、ここで一気にぐわっと変化し、ずれていくというか。別に逆転するとかというわけではなく、最終的にはお互いに対等な「いってこいの関係」にたどり着く。この瞬間がとても感動的でした。
ルオルオ:私の父は、本当によく彼の母親について話すんですね。いつもとても感情的に。実は父は文化大革命の時代、階級的に親世代と袂を分かたないといけない、という経験をしました。その態度を示す必要に迫られ、両親の死に目に会うために帰省することもできなかった。それ以来、自分は親孝行を全くできなかったと。そのことを悔やんで、父はいつも泣いています。そして最後のみんなで撮り合っているシーンですが、まず孫娘がモノローグを始めます。私は自分自身のマスクをしながらのモノローグをよく撮影していたので、同じように孫娘のモノローグを撮りました。そして私が父にカメラを振ったら、今度は父もモノローグを撮っている私を、携帯を使って撮っているという状況でした。実はあそこには本当は私の娘もいて、娘も更に別のカメラで全体を撮っていたんです。娘の撮影素材は、今回は使っていないのですが、そこには4世代が一緒にいたっていう状況だったということです。孫娘は本当に様々なことをそこで語っていて、彼女がこれからどういう未来に進んでいくのかは私には全く分からないし、コントロールすることもできない。私から何らかの影響があればとは思うけれど、やはり彼女は彼女の道を歩んでいくんだろうな、というふうに今は見ています。
秦:あの時お父さんは携帯で撮影していましたが、あれはルオルオさんの指示だったのですか? それともお父さんは自分で撮り始めた?
ルオルオ:私から頼みました。実はモンチーさんとウー・ウェンガンさんからのアドバイスだったんです。孫のモノローグのシーンを撮りたいんだけど、彼女がカメラを落としたりしないか心配だと相談したら、様々なアイデアを出してくれたんです。みんなでのオンラインでの議論の末、最終的に観ていただいたような形になりました。でも、撮り方の件はさておき、元々私はこのように家族の中の様々な世代が一緒に参加して撮っていく、という形になることを願っていました。それは私自身が、様々な人が参加する「草場地ワークステーション」から多くのものを受け取り、魂が救われた経験があったからです。孫や父がこの撮影から実際に何か得るものがあったかどうかは分かりませんが。
秦:でもとても楽しそうにハーモニカを吹いていましたし、「写真だったら簡単なのに動画は難しい」みたいなことをお父さんが言っていましたよね。お父さんはもう完全に「作り手」の視点になっているなと。とても成功しているように見えましたよ。
ルオルオ:実は父は動画じゃなく写真を撮っていると思っていたんです。写真なのになんでこんなに時間がかかるのかと。昔の写真撮影のように、長時間ずっと動かないでじっとしていなくてはいけないみたいな、そういうものかと。実際は動画なんですけど、父は動画だと思ってない。「なんでこんなに長い時間撮り続けないといけないんだ、この写真は!」みたいな感じで。でも私はとにかく父に「動かないでくれ」って(笑)。
秦:実はお父さんは残念ながら今年亡くなられたとお聞きしたんですが、お父さんはこの作品をご覧になったんでしょうか? そこで初めて自分がやっていたことを理解したということなんでしょうか?
ルオルオ:この作品は2023年3月から4月にかけて完成したのですが、父は1月に亡くなったため、見せることができなかったんです。ただ前作は見てもらっています。撮影素材も度々見てもらっています。ただ父には「映画」とか「作品」という概念を持っていません。父にとって重要なのは、彼が書いた回顧録が映画を通して多くの人に知られ、関心を持たれるということ。それが彼にとってとても嬉しかったようです。父は非常に謙虚な人で、「こんなもの誰も関心ないだろう」と言っていましたが、見た人が全員すごく関心を持ってくれているよと「草場地ワークステーション」での反応などを見せると非常に喜んでいました。
編集・交流はオンラインで
秦:最後に編集について質問させてください。自分自身が出演者であるようなプライベートな内容を映画にするとき、自分以外の視点が重要になってくると思います。この作品の編集はどのように進められたのでしょうか。
ルオルオ:私が参加している「草場地ワークステーション」は相互扶助をとても大切にしています。2020年から「フッテージ・ワークショップ」というものを行っていまして、そこでは各自が自分のフッテージ(撮影素材)をオンラインで見せ合って、みんなで読解していく。毎週水曜日に3時間ぐらい、それぞれが持ち寄った素材を見て議論します。一見なんでもないような素材の中にも、他の人は多くの意味を見出したり、ということがよくあるんです。この作品もそういう過程を経て生まれました。その他にも編集ワークショップというのもあります。編集を重ねるごとにラフカットを見せあい、色々な意見を出し合いながら、この作品はどういう方向に進むべきなのか議論をしていく。『ルオルオの青春』は最初のラフカットまでは自分で編集しました。それを、今回山形に一緒に来ているリー・シンユエ(李新月)さんという若い編集者の方が引き継いで完成させてくれました。彼女がいなかったら未だに完成していなかったと思います。
秦:それを全部オンラインでやっているんですか?
ルオルオ:はい全部オンラインです。編集のシンユエさんとも今回山形で初めて会いました。モンチー監督とも2021年に深圳で演劇関連のイベントがあった時に一度会っただけで、今回が2度目です。ウー・ウェンガンさんとも1回しか会ったことがありません。実は「草場地ワークステーション」の参加者のほとんどの人と、一度も会ったことがありません。でもオンラインでもとても密に交流しているので、お互いに本当に近しい関係が築けているんです。
採録・構成:秦岳志
写真:小関央翔/ビデオ:大下由美/通訳:秋山珠子/2023-10-06
秦岳志 Hata Takeshi
東京都生まれ。大学在学中より映像制作を始める。その後ドキュメンタリー映画の編集を中心に活動。主な長編映画作品に『OUT OF PLACE』(2005/佐藤真監督)、『風の波紋』(2015/小林茂監督)、『マイ・ラブ 日本篇』(2021/戸田ひかる監督)、『水俣曼荼羅』(2021/原一男監督)など。