小森はるか 監督、瀬尾夏美 監督 インタビュー
「語り」の可能性
Q: この映画は、出演者が岩手県陸前高田市に約2週間滞在して行われたワークショップの様子が収められています。滞在期間中はどのようなことが行われていたのですか?
小森はるか(KH): 継承の仮説的な場所を作るというのが目的としてありました。具体的には、4人の若者が「旅人」として訪れたことで語られたことの記録と、彼らが語るというふたつです。最初の1週間はめちゃめちゃインプットをやりました。最初は集団、後半は個々人で、高田の人たちに会いに行って話を聞いたりボランティアしたりしました。日中はとにかく会って話を聞き、夜になったら同じ部屋に帰ってきてみんなで共有して、「二重のまち」(瀬尾監督によるテキスト)を朗読しながら反芻したりしていました。
Q: それぞれが朗読の前に「これはこういうお話です」というような語り出しをしていました。彼らが自分で考えた言葉なのですか?
瀬尾夏美(SN): 毎日朗読する時間に、あてがわれた章をどういうふうに読んでいるか、彼らに考えて語ってもらいました。だけど最初はなかなかできなくて、このテキストが一体なんであるかというのは、彼ら自身の背景を、もっと言語化していかないとわからないと思いました。そこで途中から、自分の生い立ちやふるさとについてとか、私とたくさん個人面談みたいなことをしました。そうしていくうちに、テキストと自分との接点がだんだん彼ら自身から語られていくようになりました。それを当て書きみたいにして調整してできたのが、あの語り出しのテキストです。ひとりひとり全然違うパターンで出てきました。2週間の中で最後に出来たものだし、すごく重要なものだと私は考えています。
Q: 監督の作品は、インタビューや語りに特化したものが多いのはなぜですか?
SN: 最初に出会ったのが語りだったのが大きいとは思います。被災地を訪れたきっかけはボランティアだったんですけど、がれきを撤去したりすることにはなんにも役に立てなくて。そういうときに暇してると、お家にいるおばあちゃんとかが喋ってくれるんですよ。目の前で大きな破壊があった場所は、私たちにとってはショックな光景でも、おばあちゃんの話を聞いていると、こんな建物や風景があったとか、そこでの思い出や被災経験とか、おばあちゃんの身体を通した見え方、具体性を持った場所としての温度がちゃんとある。ただ「津波に流された場所」と見ると痛いものだけに思えるけど、彼女たちの語りのなかには、その奥にある営みみたいなものが痕跡として灯るというか。語りによってそういうものに出会ったとき、私たち自身が救われたというのが体験としてありました。カメラにそのまま写らないものを話をしてもらって、聞いた私の応答で相手が思い出すとか、思い出すことの往復において風景に色をつけていくみたいな作業が向いてるのかな、とは思います。
KH: お話を聞かせてもらった体験を「自分たちだけにとどめてしまうことがもったいない」という感覚はあると思います。メッセージとして発信したいというよりは、その人たちの生き方とか言葉のひとつひとつ、表情とかそういうものにすごく救われたから、これを見た人にとっても希望に映るかもしれないし、誰かと共有したい。そうした思いが伝えたい気持ちに自然と結びついているように感じます。
(構成:宮本愛里)
インタビュアー:宮本愛里、大下由美
写真撮影:板垣知宏/ビデオ撮影:板垣知宏/2019-10-15