アラシュ・エスハギ 監督インタビュー
「楽しさ」が禁じられるなかで、それでも踊る
Q: 今回「踊り」というものを取りあげられた理由をお聞かせください。
AE: ドイツの哲学者ニーチェは「楽しさ、嬉しさ、喜びがわからない人は、私の部屋に入らないでください」というようなことを言っています。つまり、余計かと思われるそういった気持ちこそが、とても大切だと言っているのです。この映画は「踊り」についての映画ではありません。人間がどうやって「楽しく」なるかについての映画なのです。他の多くの国の人々は、「楽しく」なりたいと思えば、何らかの方法でその気持ちを手に入れられると思います。しかし、イランという国は「楽しく」なろうとすること自体が、禁じられることがあるのです。ちょっと歌を歌う事、踊る事でも、楽しい気持ちはしばしば禁じられます。けれども、私たち人間はどんな些細なことでも、やはり「楽しく」なりたい。そのことを伝えるためのツールとして、踊りを扱いました。
Q: 主人公との出会いをお聞かせください。
AE: 前作の制作時に、様々な踊りのことを研究をしました。その際に、たまたま彼の踊っている動画をインターネットで見つけたのです。大変興味を持ったため、その制作終了後すぐに、彼を探しました。初めは、結婚式で踊ってほしいという依頼を口実に彼と会い、その後は、近くにある友人の家から彼の家に通い続けました。そこで話したり、ともに食事をすることで、少しづつ友情を築いていったのです。振り返ると、1年半かけて彼を知り、そのあとの半年ほどで映画を撮影したということになります。
Q: 6人の息子たちひとりひとりの話によって、主人公の人生の多様な面が見えてきました。彼らの話について監督自身はどのように感じられましたか?
AE: 息子たちも、ひとりひとりが違う人間なので、お父さんが女装をして踊ることに対して、良い意見も悪い意見も出るのは仕方のないことだと思っていました。しかし、彼らがお父さんの家に集まっているときに、どの息子も本当にお父さんを尊敬していることがわかりました。彼らにとってその意見の違いはまったく問題がなかったのです。話をよく聞いていると、その理由はわかります。彼らは、一度も彼の踊りについて否定していなかったのです。彼らは、友だちや近隣の人から何か言われることを嫌がっていたのです。恐れているのは、そのプレッシャーだけであって、お父さんの踊りではありませんでした。さらに、彼らが気にしている友人や近隣の人たちも、彼の踊り自体を嫌悪している訳ではありませんでした。国が禁じているから、罰せられるのが怖いというだけなのです。
Q: お祭りのシーンで、人々が泣いている一方で、主人公がクローゼットにある自分の衣装で涙を拭うシーンがあります。このシーンが表すものはなんでしょうか?
AE: 宗教のお祭りであれば、男性が女装して演じても誰も何も言わないのに、なぜ彼が普段女装をして踊ることはいけないのか。この対比を描こうとしました。人々は、お祭りの笛の音で泣いているけれども、本当に泣きたいのは、自由に踊りを踊れない現実の方だという彼の気持ちを表しています。つまり、すべてのプレッシャーの元である宗教を、ある意味で彼と反対に位置するものとして、描きたかったのです。
(構成:森崎花)
インタビュアー:森崎花、楠瀬かおり/通訳:高田フルーグ
写真撮影:板垣知宏/ビデオ撮影:板垣知宏/2019-10-11