笠井千晶 監督インタビュー
取材者ではなく、ひとりの人間として上野さん一家と向き合った
Q: 主人公・上野敬幸さんとの出会いのきっかけは、どういうものでしたか??
KC: 東日本大震災の発生後、テレビの取材では制約が多く、私は休みを使ってひとりで現地に行くようになりました。2011年の秋、南相馬市の萱浜地区で海岸線の風景を撮影していると「なぜこんなところを撮っているんだ」と怒声が飛んで、その声の主が上野さんでした。一瞬目が合った時の、上野さんの表情が忘れられません。ものすごく怒っているが、どこか哀しい。この人は言いたいことがあるのだと思いました。翌年の2月、復興支援のイベントで偶然上野さんと再会し、秋の一件は覚えていませんでしたが、子どもたちが亡くなっても放置されたことを淡々と話してくださって、私は号泣してしまったんです。原発が爆発したすぐ足元で、命がないがしろにされている。そのことがショックでした。上野さんも自分から話をしなければ、と考えはじめていた時期で、ひと月後に自宅を訪ね、カメラを廻し始めました。それが冒頭のインタビューです。その時も私は泣いてしまって、鼻をすする音が入っているんですけど。
Q: 奥様の貴保さんや、震災後に生まれた倖吏生ちゃんなど、ご家族の姿が印象的でした。家族に対しては、どんなことを心がけられましたか?
KC: 貴保さんとお会いしたのは、それから更に1年後です。子どもを喪った母の気持ちを思うとなかなか話を切り出せず、少しづつ思いを聞いていく感じでした。倖吏生ちゃんは、本来は亡くなった兄姉と遊ぶところをひとりで過ごしているので、私はそこを埋められたらと思って、遊ぶことと撮ることが一緒の、ほぼ友だちの状態でした。でもある時、倖吏生ちゃんが「お兄ちゃんたちは、なんで死んじゃったの」と貴保さんに聞いた事があって、この子も理解をしながら成長していくのだと思うと、倖吏生ちゃん自身の言葉で気持ちを聞くことが大切だと思いました。とにかく普段通りに過ごしてもらって、私の存在がありつつも、自然な言葉が出てくるような雰囲気を心掛けていました。
Q: 上野さんは復興に向けた活動に積極的ですが、それに対してどのように考えておられましたか?
KC: 彼はものすごく前向きで、亡くなった人に自分たちは大丈夫だよ、と伝えたい思いがある一方で、表に見せない哀しみや、誰にも言えず抱えている思いが心の奥底にあって、私はそこを伝えたいと思っていました。5年間接して、私なら撮ってもいいよと言ってくださったのが、亡くなった娘さんの部屋に上がる最後のシーンです。他のメディアにも積極的に発信をしている上野さんが、普段みせない部分をみせてくださったという意味で、私を取材者ではなく、ひとりの人間として信頼してくださったんだと思います。
Q: 監督はテレビ局を辞め、長編映画としてこの『Life 生きていく』を作りましたが、映画にする時、一番伝えたかったことは何ですか?
KC: 今回、個人で映画を作るとなった時に、表現としては素人でも、メディアに裏切られた思いを持っている方を大切にしたいと思う気持ちがありました。震災後、いろんなメディアが繰り返し被災地に行く中で、当事者が心から信頼して気持ちを話すことがされていないと感じていました。こちらもつい被災者という目線でみてしまいがちですが、ひとつの家族であったり、ひとりの人間であったりする部分は変わりませんよね。ありのままの家族としての上野さん一家を、私は描いたつもりです。
(構成:佐藤寛朗)
インタビュアー:佐藤寛朗、吉岡結希
写真撮影:吉岡結希/ビデオ撮影:加藤孝信/2017-09-27 東京にて