小森はるか 監督インタビュー
現在を記録しておくこと
Q: 映画の中で、佐藤貞一さんが「気仙魂だ」と前向きに頑張る姿はとても力強く「明るい未来があるはずだ」という言葉に希望を感じました。佐藤さんとの出会いはどのようなものだったのでしょうか?
KH: 震災の後、友人の瀬尾夏美さんと一緒に、東北の沿岸部にボランティアに行きました。それがきっかけで、1年後に陸前高田に移住し、3年ぐらい住んでいました。津波によって失ったものがたくさんあるなかで、どうにか自分で記憶に形を与え、失ったものを残しておきたい、と自ら方法を見つけようとしている人たちが、そこには本当にたくさんいました。その方法は、日記を書くことだったり、写真を撮ることだったり、自身の体験を語ることだったりしました。誰もがそういうことをしているなか、記憶を残して伝えていくということを、意識的にしていた方の1人が、佐藤さんだったのです。彼以外にも多くの方を撮っているのですが、今回は佐藤さん1人をとりあげて編集しました。
Q: 映画には、佐藤さんが小森監督に話しかける場面がいくつかありましたが、どういった意図があったのでしょうか?
KH: 意図的にしたことではなく、自然に残ったものです。見た方の多くが印象に残った場面だと言ってくれます。今回の映画では、佐藤さん1人が長い時間映されていますが、外の存在を少し入れたいという想いがありました。結果的に、私と佐藤さんのやり取りは、見ている人にとっても、佐藤さんを1人の人として見られる場面になっているのかな、と思います。
Q: 被災地の記録を始めた理由は何でしょうか?
KH: ずっと沿岸をまわってボランティアをしていたのですが、自分が役に立っているのかどうか分かりませんでした。カメラを持って行っても取り出すことができず、アーティストとして表現も何もできないな、と実感した時期でした。そんななか、避難所で出会ったおばあちゃんから「カメラを持っているなら、私の実家の写真を撮ってきて欲しい」と頼まれたのです。その方の実家があったところも被災し、親しい人が亡くなったことから、辛い気持ちがあって、行きたくても行けない状態でした。「もし代わりに行けるんだったら、そこの写真を撮ってきてほしい」と頼まれたことで、やっと誰かの代わりに記録するということができるようになりました。そして、それから沿岸中を記録しはじめたのです。
Q: 陸前高田での生活で、感じたことはありますか?
KH: あまりにも変化が大きかった、と思います。3年間住んでいる間に、風景が大きく変わっていきました。街並みの痕跡は少しずつ消え、新しい町を作るという、少し違和感のある工事が始まりました。住んでいる人たちにとっては、落ち着いて考えることもできない、とても忙しい時間だったと思います。そんななかで、私にできることは現在を記録しておくことでした。その記録が、後で少し落ち着いた時に、考える役に立つといいな、という想いからでした。
Q: それでは最後に、今後の活動について、聞かせてください。
KH: 今は、東北六県の震災の記録をリサーチし、アウトプットまで自分たちで構築するということをやっていますが、作品制作の根幹を成す、記録そのものも続けていきたいと思います。「記録したことを伝えないといけない」という想いが、今に続いているからです。
(採録・構成:福島奈々)
インタビュアー:福島奈々、薩佐貴博
写真撮影:楠瀬かおり/ビデオ撮影:岩田康平/2015-10-11