English
YIDFF 2015 ともにある Cinema with Us 2015
首相官邸の前で
小熊英二 監督インタビュー

誰もやらないから、仕方なくやったんです


Q: 映画を見て、官邸前の抗議行動が立ち上がってきたころの熱気を思い出しました。3.11後の出来事が時系列で語られるため、一連の流れが理解しやすく、小熊さんの著書に似た感覚を持ちました。初監督作とのことですが、あまり気負いを感じさせないのですが?

OE: 当初から「これはできるな」と思っていましたから。映像制作が初めてだということは気にしませんでした。インタビューした人たちは、みんな抗議行動の中で知り合った人です。一般的にドキュメンタリーを撮る時は、あるコミュニティに溶け込むまで2、3年かかったりしますが、私の場合は2011年の最初のころから官邸前に通っていましたし、彼らとはお互いに信頼感がありました。

Q: そもそも反原発の運動に興味を持ったきっかけは、何だったのでしょうか?

OE: 原発事故後、東京はとても暗くて重苦しい雰囲気でしたが、それを破るようにして最初のデモが起こりましたから、これは面白いと。私は歴史の研究者で、国際的な事例も知っていますから、これは50年に1回しか起きない運動、ある種の社会の転換点だと思いました。映画では十分に描き切れませんでしたが、雇用状況が悪化し、将来に対する不安も増している。福島の事故は一種のトリガーであって、それ以降はずっと定常的にさまざまな運動が起きていますよね。それは日本社会全体が不安定化しているからだと思います。日本社会そのものが変化して、あるステージに入ったということです。その瞬間をとらえた映像だと考えています。

Q: この運動に関しては論文も執筆されていますが、映画だから描けたことはありましたか?

OE: それはもちろんありました。香港や台湾で運動が起きたことを日本の人はすごいと言うが、自分たちの近くで起きたことにはどうやら自覚がありません。文字や数字で分からないようだから、映像で見せる。官邸前に何万人も押しかけて、どれだけ真剣にやっているかということが表情や声で分かります。とにかく映像的にいいものをつくりたかったんです。心の底から怒ったり、泣いたり、喜んだりする人の姿が映っているということです。その風景を映しこむことが一番大切なことであって、喋っている内容は、ある程度の筋書きさえ描ければ、それでいいと思いました。

Q: 私は、三里塚闘争を描いた小川紳介監督のシリーズ作品を勝手に重ね合わせてしまったのですが、この運動を継続的に記録していこうとは考えていませんか?

OE: それは正直考えていないですね。なぜかというと、2011年にほとんど不毛状態のところから、いきなり殻を突き破って出てきた瞬間というのは、学問的な意味でも、映像的な意味でも記録する必要性が絶対にあると思いましたが、その後にどういう継続性や粘り、思いがあるかというのは、また別の種類のものになりますから。私の目から見れば、2015年の安保法案反対の国会前行動は、その様式や場所を考えても2011年、12年以降の継続性で動いています。論文は書いても、映画をつくってまで描こうとは思いません。そもそも私は、誰もやらないから、仕方なくやったんです。本来、テレビ局がすべきことですよ。これは私がやらないと誰もやらない、そして誰もやらないということはすべて消えて無くなる、記憶に残らない、歴史に残らない、日本社会の中に残らないと。それはあってはならないことだと思いましたので、仕方なくやりました。

(採録・構成:沼沢善一郎)

インタビュアー:沼沢善一郎、原島愛子
写真撮影:キャット・シンプソン/ビデオ撮影:薩佐貴博/2015-10-12