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YIDFF 2013 山形まなび館 持ち込み自主上映
人間(じんかん)(日本/2013/88分)
岡崎孝 監督インタビュー

ひとりの女性から見えてくる社会の縮図


Q: 女性が自分の性について人前で語ることはタブーとされているのに、誰が観るかわからない映画のために、自分をさらけ出す紫月いろはさんは強い女性だと思いました。彼女をどうして撮ろうと思ったのですか?

OT: AVや緊縛ライブに出演している女性というより、最初は、肉体による表現者として彼女をとらえようとしました。2012年のバレンタインデーのころ、全身にチョコレートを塗って自らのブログで公開している彼女の存在を知ったことが直接のきっかけですね。でも、撮影を進めるうちに目的が変化してきました。この作品では、彼女が自分のカメラにひとりで語り続けるシーンが圧倒的に多いのですが、その話に耳を傾けているうちに、“紫月いろは”という女性を通して現代社会の縮図を表現できるのではないかと考え始めました。彼女は偏見を持たない自分自身の言葉で、ホームレスやリストカッター、さらに“おひとりさまの老後”などについて語っています。タイトルになっている『人間(じんかん)』というのは、要するに多様な人間(にんげん)によって成り立つ“この世”のことです。この作品は“紫月いろは”の物語であると同時に、“紫月いろは”を媒体とした現代社会の物語でもあるんですね。

Q: 自縛をしたり腕にろうそくを垂らす紫月さんと、暗闇の中、キャンドルの前で自分について語る紫月さんが、とても同一人物には見えませんでした。

OT: 彼女も作品の最後に、「一体私は何者か?」という問いを発しています。さらに、完成した作品を観たとき、彼女は「私は他の人たちと違う仕事や趣味を持っているけれど、私にとってはこれが普通なんです」と言っていました。人は皆、自分だけの“普通”を持っています。自分の“普通”を認めてもらうためには、他人の“普通”を認めることが必要ですよね。先ほども話しましたが、“紫月いろは”という女性は、ありとあらゆる人間に対して偏見を持っていません。むしろ「自分こそ普通だ」と信じて疑わない人間こそ偏見の塊かもしれません。

Q: 前回の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された『私たちにできたこと できなかったこと』が東日本大震災をテーマにしているのに対し、今回の作品はまったく違う内容ですが、共通性はあるのでしょうか?

OT: 『私たちにできたこと できなかったこと』は、“3.11”以降、山形市内に登場した震災関連の看板や張り紙、のぼり旗など“人”以外の物を撮り続けることで、当時の“人”の心の温かさや弱さを浮き彫りにしようとした作品です。テレビのドキュメンタリーなどと比べるとかなり異質なものでした。今回の『人間(じんかん)』も、テレビなどではまだまだ正面から取り上げにくい内容かもしれません。人種差別や障がい者に対する差別などには誰もが堂々と反対できると思いますが、あえて意見が分かれるであろう“性”に関する仕事に携わる女性を取り上げることで、お互いが認め会う人間社会について本音で考えてもらいたかったのです。「あなたは普段“平等は大切だ”と口では言ってるけど、本音はどうなんですか? この作品を観て、少しでも偏見を持ちませんでしたか?」と問いかけるというか、挑戦してみたいという気持ちもありますね。ドキュメンタリー映画だからこそ真正面から取り組むことができた内容という点では、前回上映作品と共通していますね。

(採録・構成:高橋茉里)

インタビュアー:高橋茉里、野上貴
写真撮影:斎藤里沙/ビデオ撮影:井上早彩/2013-09-23 山形にて