村上賢司 監督インタビュー
映画の多様性としての8ミリフィルム
Q: ドキュメンタリー映画というと政治的、社会的な作品が数多くあると思いますが、本作は10年前の作品『川口で生きろよ!』と共通して、監督の身の回りのことが描かれています。なぜ身の回りのことをテーマにしようと思われたのですか?
MK: 基本的に自主映画なので、自分の撮りたいものを撮るようにしています。壮大なものを作るつもりもないし、分かったつもりで作品を作るようなことはしたくないのです。身近なものこそ、ドキュメンタリーの手法を一番発揮できると思うので、身の回りから離れないようにして、まずはそこから発信していきたい、という思いで制作しています。たとえば、今回の作品で登場する草原は『川口で生きろよ!』に登場する草原と同じ場所ですし、本当に自分の身の回りに密着して作品を作っています。
Q: 作品のなかで、「夜の光」「女」「時間」などを撮影されていますが、撮影するものはどのようにして決められたのですか?
MK: 今回、30年前の期限切れフィルムを使用し、さらに自家現像なので、何も映らないことも想定していました。なので、人や波など、確実に音が出るものを選んで撮影するようにしていたんです。夜の場面では、映っていたら面白いだろうなという淡い期待を込めて撮影していました。ビデオでは絶対に出ないような、画面の中心だけがポッと明るくなる独特の質感を撮影したいと思い、カメラを廻しました。ただ、映らないことを想定していたとはいえ現像してみると、映っていたのがほぼ粒子や原子に近いものだったことに驚きました。ラストの場面で海に行っているのは、波の音が入ることを計算していたのもありますが、単純に個人的に海への憧れがあったので海の場面で終わることにしたのです。
Q: タイトルはなぜ“音を録る”ではなく“音を狩る”としているのですか?
MK: それは、大西健児さんの影響です。大西さんのドキュメンタリーを撮ったときに、彼は「人間を撮るのは人間狩りだ」と言ったんです。自分自身も人を映像に撮るということは狩りと同じであるという映像の加害性を感じていたので、音に関しても、“録る”よりは“狩る”のほうがあっていると思い、このタイトルにしました。
Q: 今回の作品では、ほぼ粒子のような映像が終始収められていますが、なぜ8ミリフィルムで撮影をしようと思われたのですか?
MK: 映画が発明されて以来、映像を作る人は皆、物事が鮮明に映ることに努力してきたけれど、私は映像に関して重要なのはそれだけではないと思います。(8ミリ)フィルムは、上映されるフィルム自体が撮影の現場にあったという事実があります。今回の作品で言うと、登場する新宿の街や海、草原にいたのは自分自身でありフィルムそのものであるというわけです。画質として何か意味があるということではなく、フィルムそのものが撮影現場にあったという事実が大事なことだと思うのです。
作品には多様性が大事だと思うので、フィルムもデジタルも両方を使って表現していきたいと思っています。今デジタルで仕事をしている人間として、このゲリラ的な制作過程は最高に面白かったです。
(採録・構成:山崎栞)
インタビュアー:山崎栞、鵜飼桜子
写真撮影:山根裕之/ビデオ撮影:加藤孝信/2013-09-28 東京にて