顧桃(グー・タオ) 監督インタビュー
熱帯雨林に響く、ハンダハンの遠吠え
Q: エヴェンキ族を扱った第1作『オルグヤ、オルグヤ…』(2007)では民族全体を、第2作『雨果の休暇』(2011)では親子に焦点をあてていました。第3作となる今作で、維如(ウェイジャ)に焦点をあてた理由を教えてください。
GT: 維如という人は表現したいという思いが非常に強い人です。彼の絵や詩の中にある独特な感性も、自然から来るインスピレーションだと思います。それと同時にやるせない、せつない思いというのも抱えている人で、私はそこから強く感覚的にひきつけられるものがありました。私は都会にいても非常に孤独を感じます。また、ふるさとに帰っても、浮いたような感覚が付きまといます。私自身と彼とに共通した気持ちというのがあったので、こうしたドキュメンタリーを作ったのです。
Q: 維如とハンダハンを対照的に重ね合わせて描いた意図はなんでしょうか?
GT: ハンダハンという動物を彼に重ねたのは、ハンダハンが持っている気質を彼が備えているからです。ハンダハンは森の中でも力を持った生き物です。非常にプライドもあり、非常にセンシティヴな動物でもあります。その動物自体に権威があります。しかし、大興安嶺(ダーシンアンリン)の生態系が崩れてきていることで、ハンダハンも年々数が減ってきています。私の映画には生きているハンダハンは出てきませんが、1カ所だけ白骨化した動物の頭が映るシーンがあり、それはハンダハンの頭部です。この映画の中ではハンダハンを象徴的なものとして描いています。エヴェンキ族は先祖代々トナカイを放牧して山の中で暮らしてきました。それは彼らの伝統的な生活形態です。生態移民政策が行われてから彼らが生活できる環境というのは小さくなっています。映画の中で維如が言っているように「ひとつの民族が自分たちの生活形態を失って滅亡に追いやられている」わけです。だから彼らは酒を飲んでごまかすことで、そのやり場のない悲しみを押しこめているのです。
Q: オルグヤを離れ、海南島で生活する彼の姿は、何かアイデンティティのようなものが喪失してしまったように私の目に映りました。そんな彼をどんな気持ちで撮影していましたか?
GT: 海南島に彼が行くとなった時、一緒に行って撮影したのですが、「彼はいつか北に帰る時が来るだろう」と私は心のどこかで予期していました。人によっては「いい生活ができる」と言って送り出した人もいましたが、私はそうは思いませんでした。彼の持つ感覚というのは森から来るものです。彼の本能的に持っているものはオルグヤの空だったり森だったりと共にあるのです。海南島での彼の姿を撮影していた時は、非常につらかったです。ハンダハンが熱帯雨林の中にいるのと同じだから。あの誇り高き鳴き声が響くことは無く、響いているのは悲しみの遠吠えだけ。彼が海南島で生活させられたことは、政府がエヴェンキ族にしたことと同じです。彼らに良かれと思ってしたことも、実際にはそうではなかった。政府は彼らにいい家を与え、整ったインフラの環境で生活させてやろうと思っただろうし、同じく維如の恋人もお酒を断たせて普通の人と同じ暮らしを彼にさせてあげようとしてやったことです。ただそこには価値観の違いという拭いきれないものがあって、彼のために良かれと思ってしたことも彼にとっては受け入れがたいことだった。最終的にそれは破局へと形を変えてしまったのです。
(採録・構成:加藤法子)
インタビュアー:加藤法子、柴崎成未/通訳:中山大樹
写真撮影:松下晶/ビデオ撮影:松下晶/2013-10-15