アフマド・ナッシャ 監督インタビュー
パレスティナ人にとっての空間
Q: この作品はカメラの動きが少なく、人物を追うことはほとんどないのが、とても興味深いと思いました。監督自身も“空間”を主人公に選んだとおっしゃられていますが、なぜ人物ではなく“空間”を主人公として選んだのですか?
AN: “空間”とは、人々が日常生活をおくる場所であり、自分たちの土地を追われたパレスティナ人にとっては大きな問題であり、関心事でもあります。私は、“空間”を観察する映画を作りたかったのです。そのため、この作品では、パレスティナについて私自身が言いたいことを、ある一晩の、ある小さな“空間”の中で、集約し表現しようとしています。
Q: 音楽祭がはじまってからの様子は一切映されていませんが、撮影自体は、されていたのでしょうか?
AN: 音楽祭での撮影は、音楽祭がはじまるまで、と最初から決めていました。そして、人物の動きはまさに、現実の1時間半という時間のなかで、遮られることなく連続して起きているものです。それは、音楽祭では表すことのできない別のものを見せるためでした。さまざまな他の音楽祭に行き、そのときに音楽祭がはじまる前の時間を撮るべきだ、と確信したのです。
Q: 音楽祭の客席での女性ふたりの会話や、詩人の墓碑の前で男性が朗読する詩には、とても考えさせられました。これらは、はじめから撮ろうと決めていたのでしょうか?
AN: 私の撮影では、その場面を自分で強く操作する場合と、あまり操作しない場合とを混在させています。ふたりの女性のシーンでは、できるだけ彼女たちの会話を遮らないよう努めました。また、最後の詩の朗読シーンは、この作品の中では最もコントロールされた場面のひとつですが、私は彼にこの詩を詠んでくれるよう頼んだだけでそのほかは彼自らの動きに任せました。詩の最後に出てくるフレーズが「この2メートルの土地で」で、この映画のタイトルにもなっています。この言葉は“空間”という概念とそれが孕む緊張感を捉えており、私たちに“空間”について考えさせます。その「2メートルの土地」とは、この詩を書いた詩人マフムード・ダルウィーシュが、「自分が死ぬときに必要な空間」として記したものですが、これは死だけではなく、同時に「生の空間」を表しているものでもあると思います。これこそが、この映画のテーマです。私は詩が言葉でおこなうことを、映像と音声で表現しようと思ったのです。
この小さな空間は、パレスティナ人の困難な経験の、ひとつの隠喩として見ることができます。それはパレスティナ人が、自分の住んでいた土地を追われ、別の土地に移住させられたという事実があるからです。しかし、私は自分の映画で、自分の政治的な考えをあからさまに表現したくありませんでした。そうではなく、ある感情や考えを、物事から自然に浮かびあがらせたかったのです。その一方で、私の作品には、政治性がとてもはっきりと出ており、確かに政治的な映画だとも言えます。私たちがテレビや他の映画では見ることのない現実を、時空間を使って表しているのですから。動きのないカメラは、これらの現実を見せるためにとても重要です。この映画は、終わりに近づくにしたがって人物の動きが多くなりますが、それは静から動へという動きを意識したからです。私は人物の行動を大切にし、それに形と意味を与えようとしているのです。
(採録・構成:小滝侑希恵)
インタビュアー:小滝侑希恵、野村征宏/通訳:齋藤新子
写真撮影:加藤法子/ビデオ撮影:加藤法子/2013-10-13