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YIDFF 2011 回到一圏:日台ドキュメンタリーの12年後
ライブテープあんにょんキムチ
松江哲明 監督インタビュー

現実をフィクションに


Q: この作品は、監督が以前に作られた作品とは大きく形が異なるものだと感じたのですが、作品を作る前と後で、心境に変化はありましたか?

MT: 『ライブテープ』は監督というクレジットを初めて使った作品です。僕が作るドキュメンタリーというのは現実を素材にして、あくまでも演出を加えています。客観的に撮るのではなく、自分がこういう現実を見たいとか、撮りたいとかを、ある種、コントロールし、素材を再構成している映画です。なので、いわゆるドキュメンタリーを見る人にとってはやらせの領域というか、演出しすぎている部分もあります。いままでは、演出・構成というのが自分としてはしっくりくる、というのがありました。でも『ライブテープ』はそれができないんですよ。カメラが廻ってからは、今まで演出として行っていた仕事は、カメラマンにゆだねるしかないんです。構成も前野健太さんが自分で歌を変えたりしているので、自分が何をやっていたかというと、企画を作って、人を集めて、「スタート」って言って、「カット」って言っているだけなんです。それで演出・構成という言葉が自分で合わないと思い、監督というクレジットに変えました。自分の中でドキュメンタリーに対するアプローチがすごく変わった作品ですね。

Q: 監督の中でのドキュメンタリーの定義というものは、どういうものなのでしょうか?

MT: 自分の中の定義は、ドキュメンタリーは現実を素材にしたフィクション、物語なんです。物語といっても起承転結があるものではなく、画と画があって、そこにドラマ性があるものです。だから僕は編集をすごく大事にしています。このカットとカットをぶつけることで、現実とはまた違う物語を出したい、そういうことができるのがドキュメンタリーだと思って作っています。たとえば、今年の震災が起こった後、すぐに東京のドキュメンタリストの多くが、津波や東北の様子を撮って、映画にしたと言っていましたが、ドキュメンタリーは報道ではないのだから、現実をフィクションとして答えを出すのに、そんな短時間でできるのか、と思いました。映画を見せるというのは、フィクションを加えなければ絶対、無理なんです。僕は報道が現場に行くのはわかります。でもそういうものを撮っていない人がいきなり現場に行って、異なるアプローチができるのかといったら違うと思う。映画を撮るというのは絶対、暴力的なことなんです。ただ『ライブテープ』は、ワンカットの作品なので、自分の中の定義が広がった、というのはあります。自分たちでこれが映画だ、といえるものがちゃんと作れるという自信がつきました。

Q: この作品は、人によって様々な受けとめ方ができる作品だと思うのですが?

MT: 『ライブテープ』は身近な人の死が続いた時期に、すごくネガティブな気持ちで撮った作品なんですが、お客さんの中であの作品を観て、暗い気持ちになったとか、寂しくなったという人はいませんでした。自分が聞きたい意見だけが欲しいのであれば、僕は映画を上映しないですよ。映画として良い、悪いという意見がでてくるのはある程度想像できたのですが、そういう評価が欲しくて映画を作っているのではなく、作品が誰かの心に届いてほしいと思っています。『ライブテープ』はその届き方がすごく良かったと思います。

(採録・構成:広谷基子)

インタビュアー:広谷基子、千葉美波
写真撮影:渡邊美樹/ビデオ撮影:小清水恵美/2011-10-09