被写体に宿る虚構
――『ギフト』『ソレイユのこどもたち』両監督に聞く
Q: 両作品とも、沖縄の公園(『ギフト』)や多摩川の河口(『ソレイユのこどもたち』)など町の隙間のような場所で生活し、そこから強制的に移住させられる人物にカメラを向けていますが、どのような経緯で彼らを撮ることになったのですか?
奥間勝也(OK): 元々は子どものヨウスケを軸に、血縁のない「継承」をテーマにした脚本を用意していました。僕は出身が沖縄なのですが、この地特有の血のつながりの強さに息苦しさを感じていて、血縁者である祖父を亡くしたヨウスケがホームレスといういわば社会的に「他者」と見なされてしまっている人物と出会う物語を描くことで、それを崩したかったのです。映画の最後で「墓」という家族の継承を象徴する場所が重要になるのもそのためです。しかし、脚本とは別に撮っていた亀ちゃんや仲間のリッキーの話がとても魅力的だったので、それを活かすために構成が次第に変化していきました。
奥谷洋一郎(OY): 僕の場合は、野良犬を通して東京を描こうと思っていた時に、多摩川で船に住みながら犬を飼っているタカシマさんに出会いました。撮影をしながら話を聞いていくうちに、彼の虚勢を張るような話し方は、自分のキャラクターを作り上げるためのものに見えてきたのです。そこで、タカシマさんをなかばフィクショナルな存在として描くことを考えました。僕は編集の段階で登場人物を作り上げていくことを「演出」と呼んでいるのですが、タカシマさんを少し現実離れした「船の精霊」のような存在に「演出」したかったのです。『ギフト』の亀ちゃんも、絵やオブジェを制作する事で同じように自分のキャラクター作りをしているように見えたのですが、奥間さんは亀ちゃんに対してそのような「演出」をしたのですか?
OK: 『ギフト』には脚本が先にあったので、亀ちゃんがそれにどう反応するかという形式で撮影を進めていきました。例えば、亀ちゃんが公園で絵を描いていると、観光客も含めて興味を持った人が話しかけてくる。すると、背景にある「町」も映り込んでくる。メイキングのようなシーンやインタビューなど、脚本の段階では想定していなかった要素も入れたくなってくる。だからむしろ撮影の過程で内容そのものが変化していった感じですね。逆に『ソレイユのこどもたち』は、対象をまずはカメラでまっすぐ見据えていく方法ですよね。
OY: 僕は、あらかじめ脚本を作るという方法は取りません。何か狙いをもって話を引き出そうとしても、タカシマさんは例の調子でずっとしゃべり続けてしまい、こちらの思い通りにならない。彼が話すのを聞きながら撮影する、という映画のスタイルになったのはそのためです。タカシマさんの話を聞いていると、確かに目の前には僕がいるのですが、誰に向けての言葉かが曖昧なのですね。この言葉が浮遊するような感覚を残しつつ、編集で作品の広がりを持たせようというかたちで映画ができあがっていきました。
OK: 『ギフト』の中でタカシマさんのように語りでフィクションを支えているのは、リッキーなのかもしれません。映画の中ではドキュメンタリー・パートのようですが、淀みない話し方はむしろ物語化されたものに見えます。あのシーンは僕が撮っていなくて、編集の段階で初めて見たのですが、そういったある種の胡散臭さというか、語りの虚構性は興味深いですよね。
(採録・構成:岩井信行)
インタビュアー:岩井信行、市川恵理
写真撮影:加藤孝信/ビデオ撮影:加藤孝信/2011-09-18 東京にて