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YIDFF 2009 ニュー・ドックス・ジャパン
究竟の地 ― 岩崎鬼剣舞の一年
三宅流 監督インタビュー

共通言語としての芸能


Q: 岩崎鬼剣舞との出会いは、どのようなものでしたか? また、なぜ撮ろうと思ったのですか?

MN: この作品の前に、朱鷺をテーマにした創作能『トキ』のドキュメンタリーを、佐渡島で撮影していました。撮影中、その能に地謡で参加していた、観世流能楽師の中所宜夫さんが、岩崎の8月の盆供養に行くというので一緒についていって、岩崎鬼剣舞とはそこで初めて出会いました。その時、盆供養の後の宴会にも参加して、厳粛な盆供養の踊りと、宴会でのコミュニケーションの在り方とのコントラストがおもしろかった。彼らが話している内容も、地域に閉じこもったものではなく、外の芸能にもアンテナを張っていて、岩崎鬼剣舞と彼らの人間性に、単なる田舎の閉じたコミュニティのものではない可能性を感じました。

Q: 作品の構成を、地域社会の1年を刻々と追っていく、というようにしたのはなぜですか?

MN: 東京目線で芸能を観る時は、メタファーの方向に意識がいってしまいがちだと思います。たとえば、この芸能はどういう歴史的プロセスを経ているのか、この儀式はどういう宗教的な意味合いがあるのか、などといろいろ考えてしまいます。最初は、私もそのような目線でいました。しかし実際には、地元の人たちはそういうことはあまり知らなかったり、分からなかったりする。ただ地元に昔からあったからやっている、という感覚なんですよね。そういうことが分かっていくうちに、芸能をひとつの共通言語としている、地域社会の在り方というものへと、作品の方向性は決まっていきました。

 また、岩崎の1年を、エンドレスな構造になるように描いたのは、そうすることで、毎年だいたいこのかたちで進んでいくのが分かるだろう、という考えがあったからです。プレーヤーは、時とともに入れ替わっていくのかもしれないけれど、その役回りというものは、だいたい同じようなサイクルで続いていきますから。

Q: 人から人へと、口伝えで直接的に、踊りや道具の作り方が伝わっていく、というのが印象的でした。

MN: 踊りに関しては、「口唱歌」と言う口伝の方法ですね。太鼓のリズムをベースにした、一種の舞踏譜のようなものです。口で唱えながら踊ると、タイミングの取り方や、体の力の入れ方などが、身体にダイレクトに備わっていくようになっています。また、道具に関しても、基本的に芸能は身近にあるものを材料として作ってきましたし、作り手にしても、特別な職人がいたというわけではなく、大工が面を彫ったりしてきました。「身近なものを使って」ということが、芸能のひとつの本質だと思います。

Q: この作品を通じて、何を伝えたいとお考えになりましたか?

MN: 地域社会の、ある種共通の自我を持っているような在り方や、さまざまな世代が、分け隔てなく関わり合っているような場など、これらのことは私たちにとって、なかなか体験しづらいことだと思います。映画の中の、そのような地域コミュニティの在り方を通して、観た人が、自分の立ち位置などを違った視点から考えることができればいいと思います。また、何らかの表現に携わっている人たちには、自分の中の世界を表現することとは違った在り方に出会うことで、「ものをつくる」ということに対する向き合い方を、少し見つめ直すきっかけになればいいと思います。

(採録・構成:石川宗孝)

インタビュアー:石川宗孝、広谷基子
写真撮影:加藤孝信、広谷基子/ビデオ撮影:加藤孝信/2009-09-18 東京にて