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YIDFF 2009 インターナショナル・コンペティション
Z32
アヴィ・モグラビ 監督インタビュー

このような物語に遭遇した時、モラルを持った人間として、政治的な人間として、人としてのフィルムメーカーの役割は何か?


Q: 多くの人々が、あなたの映画と『戦場でワルツを』を比較していますが、そのような比較は的を射ていると思いますか?

AM: どちらも兵士の体験と戦争犯罪について描き、ドキュメンタリーのコンテクストの中で、珍しい方法と技術を使っています。こういう映画2本が、ほぼ同時期に公開されたのは、非常に興味深いことです。どちらもアニメーションを多用していますよね。両方とも、アニメーション大国ではないイスラエルの映画だという点がおもしろいです。

 しかし、この2本の映画はまったく違う。まったく違って見えるというだけではありません。アリ・フォルマンの映画では、主に兵士のトラウマと、彼が失った記憶探しが描かれています。でも私の映画に出てくる兵士は、記憶を失ったわけではありません。私の映画では、このような出来事を提示された時、市民社会に住む私たちはどうすればいいのか、自分の子どもが戦争犯罪者になるという責任にどう対処するのか、このような出来事の結果にどう対処するのかという、抽象的な問題が描かれています。『戦場でワルツを』は、そういう点については触れていません。

Q: 主人公の顔にCGのマスクを使用していることが、映画の中で残虐行為を描くことに、どう影響していますか?

AM: 残虐行為についてのドキュメンタリーを見る上での問題のひとつは、多くの場合、主人公の正体が特定できないことです。目の部分に穴が開けられたマスクをかぶったりしたら、たちまちテロリストに見えてしまう。この映画では、すぐに判断が下されることがないよう、物語が語られるにつれて徐々に判断がなされるようにしました。また、この人物が極悪非道な人間だとか、生まれつきの人殺しではないことを理解してもらいたかった。彼はそんな人間ではなく、ごく普通の男なんです。洗脳されながら育った、平凡な人間です。彼は“イスラエルの兵士”ではない。あらゆる国にいるのと同じ兵士なんです。

 マスクのおかげで、実際と同じ人間を見ているような気になります。誰かが若者を見て、「あの男かもしれない、あの男かもしれない、それともあの男かもしれない」と思いはじめるということは、ある意味、多くの人を疑いの目で見ることになり、この出来事について、私たちがどのように連座しているかを問うことになります。

Q: 衝撃的なアニメーション効果を使うことで、残虐行為を美的に描いているという批判については、どう思いますか?

AM: 私たちがやることは、すべて美的なのです。問題は、どのような美かということです。残虐行為を、白黒や劇的な音楽によって描くべきではありません。残虐行為は、普通の人々によって、普通に話されていることなのです。もし人が突然悲しんだり、深刻になったりすれば、私はその人を信じないかもしれない。人は、そういう風に振る舞うものではないからです。私たちは、時に残虐行為を冗談のネタにしたりします。少なくともイスラエルでは、ホロコーストに関する冗談は、ごくありふれたものです。

Q: フィルムメーカーとして、彼の罪に対しての、あなたの責任は何だと思いますか?

AM: 私は裁判官ではないし、断じて死刑執行人でもない。でも戦争犯罪人と協力し合いました。すべての戦争犯罪人は逮捕されるべきだと思う一方、私は“この”戦争犯罪人に対して映画に出てほしいと頼み、彼も了承してくれた。私は、彼の正体を明かさないと約束したんです。このように深くかかわったのだから、責任逃れをすることはできません。どんな言い訳をしてみたところで無駄というものです。

(採録・構成:オリバー・デュー)

インタビュアー:オリバー・デュー、鶴岡由貴/翻訳:村上由美子
写真撮影:木室志穂/ビデオ撮影:工藤瑠美子/2009-10-10