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YIDFF 2009 インターナショナル・コンペティション
アポロノフカ桟橋
アンドレイ・シュヴァルツ 監督インタビュー

唯一の問題は、本物の映画かどうかということ


Q: 企画から撮影を開始するまで、6年の歳月がかかっていますが、どのような苦労があったのでしょうか?

AS: 製作資金を集めることに、長い時間がかかってしまいました。大変でしたが、どうしてもこの映画を撮りたかったのです。しかし、6年の間に失うものもありました。映画を撮るきっかけとなったのは、あの桟橋で、ある人々、ある主人公たちに出会ったからです。彼らが印象的だったから「ああ、いいな。何か一緒にやりたい」と思ったのです。しかし、長い時間がかかると、そういう人たちを失ってしまうのです。12歳だった少年が、16歳になっても同じという訳にはいきません。ある意味、初恋を失うようなものなのです。結果的に得られたのは、初恋の人ではなく妻であり、人生とはそういうものなのです。

Q: アポロノフカの桟橋にいた人々の、どのようなところに惹かれたのですか?

AS: あの土地では、みんなが威厳を持っていました。すごく弱そうな人がいるにもかかわらず、破滅している人がいないのです。私はその威厳と脆さを兼ね備えた彼らの顔に、強く惹かれました。威厳と脆さは私の中にも日々、現れるものでもあります。これらは、みなさんひとりひとりの、心の中にあるものだとも思いますが……。結局映画は、作り手自身の投影なのです。私が少しでも知っていることと言えば、自分のことだからです。ある時には、自分の一部だと感じられるような場所を探し、またある時には自分の記憶と重なる顔を探しているのです。私がこの映画の登場人物の老女、ガリーナに惹かれたのも、彼女の性格が私の母と似ていたからでした。

Q: この映画を観て、子どもの頃に泳いだ海を思い出しました。

AS: おもしろいことに、ドイツでこの映画を観た人たちも、子ども時代を過ごした湖を思い出すと言っていました。つまり普遍的なものだということです。これがドキュメンタリーのおもしろいところです。物事がとても似ていて、かつ非常に違う。これこそがドキュメンタリー映画なのです。映画がリアルかどうかというのは問題ではありません。唯一の問題は、それが本物の映画かどうかという点です。

 桟橋にカメラを置いた瞬間から、周りの状況が変わります。何かが不自然になるのです。以前のその人とは違う振る舞いをしはじめるのです。そして、カメラがあるから色々なことが起こったのです。子どもたちは初め、あの桟橋でグループでは集まっていなかったのです。企画当初に出会ったような、子どもたちのグループを夏の間中探していました。彼らが私のインスピレーションだったのに、5年後の撮影の時にはいなくなってしまった。しかし、私たちがあそこで撮影をしていたら、子どもたちがグループで集まるようになったのです。私はまさに、ああいうグループを探していたので本当によかった。彼らは一緒にいる理由ができて、それでグループを作ったのです。映画のために……。

 私たちが桟橋にいる人々についての映画を作った、とは思っていません。ある意味、彼らが自分たちについての映画を作ったのです。彼らは自分自身を演じていた、アマチュアの俳優のように自分たち自身を演じていたのです。

(採録・構成:知久紘子)

インタビュアー:知久紘子、村上由美子/通訳:斉藤新子
写真撮影:野村征宏/ビデオ撮影:芝克之/2009-10-10