アントワーヌ・カタン 監督インタビュー
それと知らずに写し撮った人生
Q: 監督おふたりは、どうしてこのドキュメンタリーを撮ろうと思ったのですか?
AC: 私たちの出会いは、ミュンヘンで開かれた映画祭です。彼は応募作品のカメラマンで、私はその映画祭の審査員をしていて出会いました。話してみたらおもしろく、気が合うことがわかりました。私は、いつか映画を撮りたいと思っていたので、一緒に作品を作ろうということになったのです。
この『母』のような撮り方は、その人の人生そのものに飛び込む行為です。大事なのは撮る対象と親密になっていくことです。そこで初めてその人の人生が見えてきます。けれど、撮影を通して少しずつ私たちに慣れてくれたとしても、カメラの存在がまったく気にならず、自然な状態になるなんてことはありません。撮影をしていく中で、様々なことが、次々に起こるわけでもなく、時間がとてもかかります。
ソ連であった時代に、ヴェルトフ監督という人が「それと知らずに写し撮った人生」という言葉を残しています。自分たちが何かを作り出すというよりは、人生を観察する中からなにかをすくい取ることをしたかったのです。
Q: 被写体である“母”と9人の子どもたちとは、どういう経緯で出会い、撮影するまでに至ったのですか?
AC: 最初に惹かれたのは、勘のようなものなのです。前作の撮影で村を訪れた時に、最もオープンだったのが、この作品の主人公である母、リューバでした。それに彼女には、9人も子どもがいるので常に何かが起こっている状況で、まさにてんやわんやの生活でした。
子どもを中心にした家庭生活の喜びと同時に、男と女の関係、母と息子たちの関係に焦点を合わせて撮っていきました。撮りながら編集を重ねるにつれ、母のリューバがとても大事な人だとわかってきました。あの環境の中での、彼女の力強さに惹かれました。
Q: 作品のテーマは「母」という存在でしたが、監督ご自身のお母様に対する思いがあったのですか? また、今回の撮影を通して、お母様に対する意識は変わりましたか?
AC: すべての映画は、撮った人の自画像であると言う人がいます。この撮影を通し、私自身、母との関係についても考えたことは、意味のあることでした。
私にとって、リューバとの出会いはとても感動するものでした。リューバの家族の状況は、私の育った環境とはまったく正反対です。私が育ったプロテスタントの文化は、幼い時から母と子は別の個人であるというのが基本の考えです。幼くても、自分自身で責任を負わなくてはなりません。リューバは、私が育てられたのとは全く違う育て方をしている。リューバは血の一滴まで子どもに捧げています。
また、ロシアの世界は父権的で、男が強いのに何もしないという社会です。この世界では、一般的に女性が頑張っている、と私は思います。女の人が支えて、ようやくもっているという状況が、世界を通して見られるのではないかと。それがロシアでは顕著に表れていました。
Q: これからは、どんな作品を撮っていきたいですか?
AC: 私は、監督には2種類あると思っています。物事が起るのを辛抱強く待てる人と、何かが起こるのをずっと待っているのではなく、自分の想像力に任せて新しい世界、劇映画を作る監督。けれど、本当はドキュメンタリーと劇映画に境界線などなく、その枠はとても人工的なものです。これからは、どちらにも属さない中間にあるものを作っていきたいです。
(採録・構成:伊藤歩)
インタビュアー:伊藤歩、知久紘子/通訳:山之内悦子
写真撮影:工藤留美子/ビデオ撮影:鈴木大樹/2009-10-09