マーニー・ペトガー 監督インタビュー
見つめることで見えるもの
Q: フィクションではなく、ドキュメンタリーとしてこの映画を撮ることになった時、どのような方法をとりましたか?
MP: 私がこの映画で一番重点を置いているのは、人生の部分です。さらに言えば、人間は生きるために生きているという点に執着しました。それにおいて最も重要な部分は目だと思います。人の目を見て話すことに、文化的差異はあると思いますが、イラン人には、人と話す時に単に相手の目を見るのではなく、じっくり覗き込むように見る、という特徴があります。相手の目を見つめて話すということは非常に大切で、そうすることで相手の真意がわかり、コミュニケーション上の誤解はなくなると思っています。目は心の窓であり、その人の人生やその人が生きているということが、すべて目を通じて外に表れます。だから、目をひとつの大切な手法として取り入れているのです。映画の中に、片目を失明して9歳の女の子の目を移植した男性が登場します。彼が目を移植したことによって見えた事実は、単に目が見えるようになったという物証的なものでなく、何かがそこで開いたのです。彼の目が見えたことより、心の目が見えたということのほうが重要です。
Q: カメラのレンズのふたが開いて映画が始まりますが、これも目や視線を意識したのですか?
MP: 私はある意味カメラと合体していて、それが人々に近づいていくという形にしたかったのです。湾岸戦争について老人が話すシーンがありますが、あんなに親密な話ができたのは、そこにカメラがあったからだと思います。つまりそのカメラというのは私でした。こうして私自身を、映画の中のひとつのキャラクターとして使うことが、私の映画のひとつの手法です。そうすることで、大衆にデリケートな部分や彼らの考え方を、より忠実に把握してほしかったのです。これを実現させたのがカメラだと言えます。カメラのレンズを人物に向けることで、その人がより生き生きしたり、オープンになるということを、この撮影中に経験しました。カメラがあるおかげで、知り合うためのエネルギーや時間をはるかに節約し、被写体の気持ちを捉えることができたのです。そして相手を理解することができ、それによって誤解もなくなりました。カメラというものは、不思議な機能を持っています。情報を撮影して人々に伝えること、また人の心の中や内面的な部分を写し出して外に伝えることです。外側だけでなく内側にも向いている、これがカメラの重要な要素だと思います。さらに付け加えると、カメラは人の心に許可を与えてくれます。イランでは望遠鏡とカメラがほとんど同義化し、「カメラ」とは言わずに、「見ることを許すもの」といった意味のペルシャ語の言葉を使います。カメラは遠いものを見ることを許可してくれる、つまり遠いものを近いものにしてくれます。それは単に風景だけでなく、人間の心についてもそうです。お互いに遠いと思っていた関係を、カメラによって近づけることができるのです。
(採録・構成:横山沙羅)
インタビュアー:横山沙羅、木室志穂/通訳:今井功
写真撮影:広谷基子/ビデオ撮影:広谷基子/2007-10-06