ニコラス・プリビデラ 監督インタビュー
何千もの死は統計的なものであるが、
ひとつの死はあくまでもひとつの悲劇である
Q: この作品を作った動機を教えてください。
NP: まず初めに、母親の不在という個人的な必要性から。そして、母の歴史に光を与えたいという思いがありました。また、母の歴史を通してアルゼンチンの歴史について触れたいと思いました。なぜなら、作品の中の問題は未だに解決されていないからです。作品はそのあたりも含めて描いています。
Q: 政治的な映画ではありますが、同時に母親の不在をより強く感じました。
NP: 私にとってはどちらも結びついたものです。確かに個人の歴史、母の不在というものは大きいものです。しかし、それを言ってしまうと、アルゼンチンには多くの個人の死、不在が存在します。その数は何千何万になるでしょう。そして、それらが個人の歴史の集まりである、全体的なアルゼンチンの歴史に、どのような影響を及ぼしたかについても描きたかったのです。個々人の歴史は一般化できません。誰かが言ったけれど、何千もの死は、統計的なものであるけれど、ひとつの死はあくまでもひとつの悲劇である、と。だから、そのひとりである、私の母の死の悲劇の重さを、回復したいと思いました。ですから、鏡の両面と言ったら良いのではないでしょうか。
Q: 作中に弟さんが出ていらっしゃいますが、対照的な性格の兄弟なのでしょうね。
NP: 彼は、完成後に作品を見ました。お互いに性格が違うので、それを映画でも見せたいと思いました。一番近くにいる兄弟でも、見方が大きく違うことを表わしたかったのです。この問題に対して、自分はアクティブに発言するけれど、多くのアルゼンチン人は沈黙しがちです。私が積極的に調査を進めていくのに対して、弟は、私に質問をしようともしませんでした。受身な性格なんです。しかし、私のように積極的に行動を起こしていかなければ、映画は進まなかったのです。
Q: 先程お話に出た鏡ですが、弟さんとの会話のシーンで印象的に使われていましたね。
NP: 鏡のシーンは多く出てきます。それは、私の中に常に物事の二面性を見なければ、という欲求があるからです。それが鏡というものに出ていると思います。あるものが存在して、その後ろにはまた、そうでないものが存在する。あの映画の中では、常に対照的なふたりの人物が登場します。たとえば、私と弟、昔の同志の中での意見の相違などがそれです。
Q: アルゼンチンの観客の反応はいかがでしたか?
NP: それもまた、様々なリアクションがありました。母の世代の人々、70年代に若かった人たちからは、あまり好まれないようです。なぜなら、こういう映画は、これまでノスタルジーをこめた映画か、もしくは闘争の歴史を描き、名誉の回復を描いた物が多かったのですが、私の作品はそれらとは違っていて、過去の事件を問い詰めていく、質問攻めにしていきます。そういう面で、気に入られなかったのかもしれません。しかし、現在若い人々、私と同じ世代の人からは、私の気持ちがよくわかったと言ってもらえました。
(採録・構成:峰尾和則)
インタビュアー:峰尾和則、奥山奏子/通訳:星野弥生
写真撮影:三條友里、海藤芳正/ビデオ撮影:海藤芳正/2007-10-06