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YIDFF 2005 日本に生きるということ――境界からの視線
もうひとつのヒロシマ アリランのうた
アリランのうた オキナワからの証言
朴壽南(パク・スナム)監督インタビュー

映画を通した恨払(ハンプリ)


『もうひとつのヒロシマ アリランのうた』について

 これまで、日本の「ヒバク」は、核の被害者としての「ヒバク」でしか語られてきませんでした。しかしコリアン被爆者は、国を奪われ、連行され強制労働させられた挙句に被爆を余儀なくされた人々であり、こうした人たちは広島と長崎で十数万人にも上ります。彼らの存在は、戦後長い間無視され続けてきました。彼らは、朝鮮人として生きる上での社会的差別に加えて、被爆者であるという、二重の差別を引き受けなければならなかったのです。ですから、コリアン被爆にとっての被爆の本質というのは、そこに日本人がいて、日本人が被爆した、ということとはまったく違うわけです。たとえば三菱造船所、ここには半島からの女子学徒隊数百人が強制労働させられていました。彼女たちは広島に連行され、そこで被爆して、煙となって消えた。しかしそのことがまったく語られていない。この映画での証言だけです。彼らの大半は亡くなってますし、未だに家族でさえ、自分の娘、息子がどう連れていかれて、どこで、どう死んだのか、まったくわからないわけです。……実はまだ、押入れの中にかけがえのない証言映像がどんと眠っています。死者たちの記憶――恨(ハン)を蘇らせていく仕事。それをしないことは、むしろ私の罪だと思っています。

「証言」を生み出す「痛み」の共有

 『アリランのうた オキナワからの証言』に出てきた、コリアンの(日本)軍属を2人殺した、と証言する、知念少尉という沖縄の方の告白をカメラに収められたのは、大変なことなのです。被害を語ること自体、言葉にできないほど辛いことなのに、さらに「殺した」という加害の証言です。しかも、自分の殺した軍属と民族的につながっているこの私が、繰り返し彼を訪ねていく。あなたたち琉球だけでなく、朝鮮族の私たち自身もまた、日本の侵略支配によって自らを否定させられ、人を殺す軍人として教育されていた。沖縄人として生まれ、そのアイデンティティを奪われたあなたと、朝鮮人としてのアイデンティティを奪われた私たちとは、同じ悲劇、同じ歴史を分かち合っているということを彼に語ったのです。そうしたら彼は、そのような監督である私が、痛みの共有者として彼にカメラを向けたから、という理由で、初めて証言を決意してくれました。

観客の支援あってこそ

 こういう映画の製作は、多くの人たちの支援があってこそ完成に至るし、映画が完成しても、観客がそれを見なければまったく意味がない。幸い、この 2本の映画はいろんな所で上映され、どうしたらあんなに観客を動員できるんですか、とよく聞かれます。私の問題意識を世間の人たちに共有してもらうために、『もうひとつのヒロシマ』に感動してくれた人たちに、2作目の話をしたのです。元慰安婦たちの人権と名誉の回復をするためには、やはり日本国家の加害の真実を明らかにしていくことがとても大事だ、ということを訴えていったわけです。すると、ほとんどの会場で、多くの観客が制作支援に立ち上がってくれ、フィルム買い取り運動などにつながりました。

沖縄集団自決の実態を追う次回作について

 (『アリランのうた』制作時に)沖縄で、慰安所の少女たちや、連行されて目の前で虐殺された軍属たちについての証言を掘り起こしていた一方で、彼ら沖縄人自身のあの戦争での体験も聞くことができました。日本軍によって“言葉”を奪われ、食糧を奪われ、あげく集団自決に追い詰められていく、そういう彼らの体験です。彼らの語りを通して、集団自決というのは沖縄人にとって一体何だったのか、それをぴしっと描きたい。これはもうラッシュの編集は終っていて、何とか来年までに仕上げたいと思っています。

(採録・構成:畑あゆみ)

インタビュアー:畑あゆみ、桝谷頌子
写真撮影:大木千恵子/ビデオ撮影:斎藤健太/ 2005-10-10