荒木真登 監督インタビュー
大切なのは、もっと良く知ること
Q: カナダへ留学された事が、作品を作る大きな動機となったようですが?
AM: 僕はもともと大学で政策科学を専攻しており、戦争責任や教育の問題については、特別興味があったわけではありませんでした。共同監督のマティスとは、語学学校の同級生で、僕がドイツに興味があった事もあり、ルームシェアをする程の仲良しでした。ある日、彼がインターネットで、南京大虐殺記念館のWebサイトを見つけ、「ドイツでは、似たようなホロコーストの話を、さんざん聞かされてきたが、日本ではこの事を、どのように教育しているのか?」と議論を吹っかけてきました。「社会的に議論されている問題ではない」と言ったら、それはおかしいと反論され、じゃあ2人で、いろいろ話を聞きに行ってみよう、という事になりました。それをドキュメンタリー映画にしようというのは、マティスの発案です。それまでは、映画を作るという発想すら思い浮かびませんでした。しかし私も日本に帰って、色々リサーチをしていくうちに、これはいける、という思いになってカメラを手に入れ、カナダに帰って、勢いで撮影を始めたという感じです。
Q: 作品の中で、日中韓の学生が激しい議論をしていますね。
AM: たまたまある日、学校で中国人の学生が、太平洋戦争の発表をすることを聞きつけ、撮影の了解を貰いに行きました。授業の後の議論は、自然発生的に集まったものです。もともと、アジア人の多い学校でしたが、撮りながら、僕も参加したくなるぐらいの、生々しい議論でした。受けてきた教育の違いによって、これだけ知識の差と感情との温度差が出てくるんだ、と。自国のメディアに対する、批判的な感覚を持つ事の意味も、あそこで初めて気づいたことです。全体的に現場では、撮りながら僕も学習して、次のステップが決まっていくという感覚がありました。
Q: では、他にも印象に残った事などは?
AM: やはり、ホロコーストの生き残りの方の話は強烈でした。彼らは、戦後ずっと語り部をやっていますが、思い出したくも無いような、つらい話を良くあれだけ話せるな、と。しかしマティスの反応は、意外とクールでした。僕が中国人に話を聞いたように、ドイツ人のマティスが、ユダヤの老人の話を聞いて、反応を比較しようという意図だったのですが、ドイツでは、自国の歴史をきちんと教育されているから、同じ失敗は2度と繰り返さない、というプライドのようなものを持っていて、そんな彼らの感覚が、羨ましくもありました。
Q: 作品を撮り終えて、どのような思いになりましたか?
AM: 初めは、日本ではきちんと歴史が教育されていない事を、もっと広めなきゃ、という政治的活動のような意識がありました。教育をしないと、同じ過ちを繰り返してしまうからです。但し僕自身は、あの歴史が何だったかという事については、未だに揺らいでいます。南京大虐殺も、ホロコーストも、生き残りの証言は説得力がありますが、自分の目で見たわけではないので、様々な立場の論争を聞くと、何が本当の事実なのか、分からなくなってしまいます。
ただひとつ言えるのは、同年代の人間が海外に出た時に、僕が経験したような現実が、待ち受けているかもしれないよ、ということです。何かの議論をする時に、一方からの意見だけでなく、反対側の意見や、第三者の意見も聞いて、考えるという姿勢はとても大切です。今の日本人は、歴史を知らなすぎます。議論に加われないという事は、実はとても恥ずかしいことです。良い歴史であろうが、悪い歴史であろうが、両面を知ることによって、誇りを持てるという部分があると思うのです。
(採録・構成:佐藤寛朗)
インタビュアー:佐藤寛朗
写真撮影:加藤孝信/ビデオ撮影:加藤孝信/2003-09-30 東京にて