アナット・ズリア 監督インタビュー
男性中心社会にいる女性たちに共感してもらいたい
Q: どうしてこの作品を撮ろうと思ったのですか?
AZ: 私自身、この映画で描いている世界や伝統などの生活の一部であって、インサイダーなのです。中にいるひとりとして分かっているのは、この映画で扱っている戒律について、誰も話さず、沈黙を守っているという事実です。だから、私がこの沈黙を破ってやろうと思いました。この作品は、ユダヤ人とはどういうものかということを描くのではなく、自分にとって身近なことや普段疑問に思っていることを映画にしたかったのです。この世の中には、同じように女性が虐げられるような状況があるのではないかと思います。なぜなら、やはり様々な文化や社会は、男性を中心に作られているからです。先ほどインサイダーと言いましたが、中にいながらにして、女性の声を聞いてもらえない、反映されない社会の中では、女性はアウトサイダーとも言える立場であります。違う文化の社会でも、同じように男性中心の社会にいる女性たちには、共感をもっていただけるのではないかと思います。
Q: 水のイメージが印象に残ったのですが……。
AZ: ユダヤの教えの中では、水というのは、湧き水や海の水など自然の水が良いとされています。しかし、ミクヴェ(儀式用の浴槽)に入っている水は、自然の水ではありません。家でお風呂に入っているのとどこが違うのでしょう? しかし疑問に思いながらも、ミクヴェの掟に従うのは、やはり男性中心の社会になるように、意図的にコントロールされているのだと思います。ミクヴェは不浄とされる女性を悪者として閉じ込めて、浄めの儀式が終わるまで出さない牢獄のように感じられます。その嫌な感じを映像として表現しました。
Q: エジプトの女性たちの反乱以後、反乱は起きていますか?
AZ: わかりません。なぜなら、女性の歴史は残っていないのです。どうして、エジプトの話を知っているのかというと、非常に有名なラヴィがいて、彼の存在があったからこそ、その反乱だけは知ることができたのです。その男性が居なければ私は知ることが出来なかったわけです。これはユダヤ教に限られることではないと思っています。男性の歴史は語られても、女性の歴史は語られないのは、どこもかしこも同じではないのでしょうか? もちろん、男性の歴史の中に女性が出てくることがありますが、それは男性の視点で書かれたものだと思うのです。
Q: 戒律を破る人はいないのでしょうか?
AZ: 映画の中にもあったように、もし戒律に従わない女性がいた場合、夫はその女性と離婚することができます。しかし、夫がそれを受け入れて、戒律を破るということは多々あります。はっきりしたことは分かりませんが、この映画の制作を通して、3分の1程度はいるのではないかと感じました。でも、破った人たちは罪悪感に囚われています。すごくいい人達なのにそのような思いをするのはとても悲しいことです。だから、戒律が変わってくれることを願っています。
Q: 次回の作品はどのようなものを考えていますか?
AZ: 実は現在、ユダヤ教の違う部分の戒律と女性との関係をテーマにしたものを2本進行中なのですが、そのあとも考えているのがあります。たぶん4作目くらいになると思うのですが、その中には詩のようなものを取り入れていきたいと考えています。
(採録・構成:松本美保)
インタビュアー:松本美保、田中陵/通訳:王愛美
写真撮影:田中陵/ビデオ撮影:加藤孝信/ 2003-10-12