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YIDFF 2023 日本プログラム

Oasis
大川景子 監督インタビュー

聞き手:加藤到

生活の時間にカメラを向ける

加藤到(以下、加藤):まず、最初に今回の作品『Oasis』を制作することになったきっかけからお話しいただきたいと思います。

大川景子(以下、大川):はじまりは、2022年に慶應義塾大学アート・センターが主催する「都市のカルチュラル・ナラティヴ」の企画で、「東京都の中心地にある港区を舞台に、文化の物語を映像で捉えること」という主旨の短編を撮ることになりました。このエリアに私は馴染みがなかったのですが、親しい友人の下山林太郎さんと彼のパートナーの大原舞さんに声をかけ、彼らと共に映画を完成させようと思いました。舞さんは日常にある景色や植物をモチーフにして絵を描くアーティストで、林太郎は自転車のビルダーです。

 ふたりは普段から電車や車は使わずどこへ行くにも自転車で移動していて、パンデミック禍で移動や人に会うことが制限されていた時も、街を自由に動き回っていました。そんな様子を見ていたので、軽やかな自転車移動と共に、彼らの集めた都市のイマジネーションが舞さんの絵に昇華していく工程を軸とした映画になれば、自ずと街の文化や物語も浮かび上がってくるのではないかと考えました。

 実際に林太郎さんと舞さんに港区を自転車で探索してもらうところから始めました。ふたりが見つけてくれたスポットを一緒に自転車で巡ったり、歩いてみたり、写真に撮ったりしながら撮影までのイマジネーションを膨らませていきました。

加藤:普段はご自分以外の監督の映画を編集するお仕事をされていると聞いておりますが、ご自分ひとりで、監督、撮影、編集するという制作スタイルはいかがでしたか?

大川:学生時代から映画を作っていました。撮影する事も好きだったのですが、映画の現場では、関わる人数が増えていくと、焦って身動きできなくなってしまうことがよくあって、反省ばかりでした。一方でひとり黙々とやれる編集はずっと続けることができました。気が済むまで何度も試せるというのも自分に向いているみたいです。何度も繰り返し見ていくと素材の方から語りかけてくる瞬間があって、それに伴ってショットの順番や長さが決まって、繋ぎ方が見つかっていく。そんな編集の魅力の沼にはまって続けていたら、それがようやく最近仕事になってきました。

 今回は自分が撮りたいと思う人や場所、生活の時間にカメラを向け、それを本人や、興味のある人に見てもらいたいという気持ちで編集してました。監督、撮影、編集を自分でやったというスタイルに特にこだわりはないのですが、個人的な衝動や感性が働いて出来上がった作品だなと感じます。

自然のタイミング

加藤:普段の編集のお仕事の時と今回の編集では何か違いはありましたか?

大川:普段は進めている作品の事しか考えられず、同時に2作品の作業を進めることは出来ないのですが、今回の自分の作品については、なぜか別の仕事を引き受けながらも並行して進める事ができました。

 仕事の時は被写体に近づいて撮った画面(ヨリのショット)と離れて撮影した広い画面(ヒキのショット)があった場合に、そのふたつの使い分けに悩みます。ヨリのショットはどのタイミングで使うべきか? その判断が難しいです。今回自分でカメラを回すことをやってみると、被写体にカメラを近づけたいと思えるタイミングがこんなに自然にやってくるのか、と思う瞬間がありました。近づくときはちゃんと近づきたいと思うんだなと、当たり前のことなんですが、なるほど! と思いました。撮影者と編集者の感覚がその瞬間は連動している気がしました。自分で撮影してみないと気づかないことだったと思います。

加藤:録音の黄さんが出演しているシーンが印象的だったのですが、あれを入れた意図はどのようなものだったのでしょうか?

大川:黄永昌さんが出演しているシーンは、仕事の時に黄さんから送られてくる音素材の頭に、黄さんの声でその場所の状況や時間帯がわかるメモが付いていて、その声のメモが以前からなんだか好きでした。この作品に林太郎さんと舞さんとはまた違った、街の観察のアプローチが加わると面白いのではと思い、出演を依頼しました。「風景に耳を澄ませてください、という注意書きが作品内に登場するようだ」と、いう観客の方からの感想もあったようです。

加藤:撮影もほとんどおひとりでやられたんですよね?

大川:撮影日数は全部で20日間で、最初の4日間は太田達成さんと一緒に撮影をしました。太田さんは別の作品の予定が入っていたので、あとは自分で撮影しました。太田さんとは彼が監督した『石がある』(2022)で私が編集を担当したのが縁です。彼は穏やかな空気をふわぁと流してくれる人で、あんな人が撮影現場にいてくれたら助かるなーと思ったのと、太田さんと林太郎さんと舞さんは話が合いそうだなと思って、お願いしました。撮影中はずっと楽しかったです。全員自転車で集合して、サイクリングしながらの撮影が多かったです。機材も背中に背負ったりカゴに縛りつけて、運びました。昼食も美味しいベーカリーでパン買って公園で食べたりして、とても身軽で気楽でした。

加藤:今回のような映画制作のスタイルが出来上がって来たのには、何か必然性の様なものがあったんでしょうかね?

大川:しんどい思いをしなくても満足のいく映画が作れるのかもな? と思えるようになったのは、2010年からスタッフとして関わっている「こども映画教室」の影響だと思います。こどもたちはいつも本気で楽しみながら映画を作っています。見た人の心を動かすこどもたちの傑作が出来上がっていく様子を見ていて、学んだことがたくさんあります。

加藤:主人公の舞さんに、一番惹かれた点はどこだったのですか?

大川:普段から付き合いのある舞さんですが、彼女が絵を描くところを撮らせてもらった時に、カメラを介して一対一で過ごした時にぐっと距離が縮まった気がしました。単純に人が黙々と手を動かし集中している姿は美しいと思ったし、誰に知られることもなく“人知れず”ひとりで何かと向き合う時間を描けたことがとてもうれしかったです。作中には夕食のシーンで「今日は何をやっていたんですか?」と林太郎さんに聞かれた舞さんが「まだ、かたちにならないものを描いてた」と遠慮がちに言う場面がありますが、この作品の中で大事にしたいと思ったことばのひとつです。

加藤:次の作品のご予定はありますか?

大川:撮りたいなと思っている被写体の方はいます。その人はパリに30年住んでいて、日本語教師をやっている人で、会話中に不意に出てくる文法や言語についての考え方がとても面白いので、映画の編集の構造と何か呼応するような作品にならないかな……と漠然とですが思っています。今回のように何度も通ったり、日常の延長で作っていくというのは難しそうですね。予算もそれなりに必要になりますし実現できるかわかりませんが、ゆっくり自分のペースで準備しようと思います。

加藤:素敵な作品になりそうですね、完成することを期待しております。今日は、ありがとうございました。

採録・構成:加藤到

写真撮影:斉藤千尋/ビデオ撮影:佐藤寛朗/2023-10-09

加藤到 Kato Itaru
山形県鶴岡市生まれ。東北芸術工科大学映像学科教授。山形国際ドキュメンタリー映画祭副理事長。東京都立駒場高校時代から8mmによる映画制作を始め、和光大学、イメージ・フォーラム映像研究所を経て、実験映画、ビデオアート、インスタレーション、パフォーマンス等、メディアアートを幅広く手掛ける。16mm短編映画『SPARKLING』(1991)は、ハンガリーの国際映画祭「レティナ '91」で、シゲトヴァール市長賞を受賞。