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YIDFF 2019 ともにある Cinema with Us 2019
飯舘村に帰る
福原悠介 監督インタビュー

震災から遡らず、ただ「その人の暮らしの話を聞く」こと


Q: とても自然な雰囲気でインタビューが進められていましたが、聞き手として出演された島津信子さんとともに作品を作ることになった経緯についてお聞かせいただけますか?

FY: 島津さんは普段は「みやぎ民話の会」というところで、いろんな人から民話を聞いて記録する活動をしています。また、飯館村の方の多くが避難されていた国見町の仮設住宅で、支援活動をされていました。そこで仲良くなった人たちに、改めて話を聞きたいということで、撮影もすることになりました。民話の会では、話を聞く事を「採集」や「調査」ではなく「採訪」と呼んでいて、民話だけではなく生い立ちや周辺のことも聞き、どういう人生のなかで民話を語ることになったかを含めて聞いています。民話を聞き取るだけが目的ではなく、その人を「訪れる」ということを大切にしているのです。この作品のインタビューでも同じように、震災についてではなく、あくまで「その人の話を聞く」ということをしていました。この映画は、そういった暮らしの話を聞くという活動の延長線上にあるような作品だと思っています。

Q: 村に流れる生活の空気が伝わってくるようでした。撮影では、どのようなことを心がけましたか?

FY: 撮影の時は、いつもの茶飲み話のような雰囲気を壊さないように、できるだけ邪魔しないようにと心がけていました。スタッフも私と島津さんだけで、機材も最小限にしました。あくまで生活があって、その脇にカメラがあるような感じにしたかったためです。同時に、カメラがあることによって、その場が少しだけ改まり、なかなか普段の生活では聞けないお話が、話せる場になるということがあります。撮影というよりも、そういったお話の場を作るためにカメラがあったという考え方かもしれません。

Q: 汚染された土と美しい自然の同居する風景について、また原発について主張される方のシーンを最後にされたことなど、編集の際の意図をお聞かせいただけますか?

FY: 撮影した時は、あらかじめ決めた何かを説明するような撮り方ではなくて、感覚を大切にしていましたが、編集をするなかで改めて発見することがあったように思います。2番目のインタビューの方は、家の向かいに見える山を眺めるのが好きだと語っているのに、まさにその下に汚染された土の袋が見えましたね。震災前にあった美しさと現状、その複雑なせめぎ合いを感じました。言ってしまうとあたりまえなのですが、彼らはたとえば80年もの時を、飯館村でまず生きていたんですね。それから、ある時に震災があったのです。本当にあたりまえな時間の流れなのですが、それは震災から遡った時間感覚のなかでは、実感する事が難しいことでした。その発見は私にとってはとても大きなことでした。語りのシーンの編集では、繊細なある意味では取るに足らないような話にこそ、耳を傾けてもらえるような順序を意識しました。そのため原発事故に対するストレートな怒りのシーンは最後にしました。もちろん、重要なお話だから最後にしたかったというのもありますが、まずは震災というフィルターをかけずに、この方たちの話を聞いてほしい、こういう時間を生きてきた人が居た場所が飯館村なんだ、ということを残したいと考えたためです。震災から遡るのではなく、そこに流れている時間を直接に想起できるような映画になればいいなと思っています。

(構成:森崎花)

インタビュアー:森崎花、澁谷彩華
写真撮影:安部静香/ビデオ撮影:田寺冴子/2019-10-15