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YIDFF 2015 インターナショナル・コンペティション
河北台北
李念修(リ・ニェンシウ) 監督インタビュー

父との約束 ―時代を越えて―


Q: 監督が、お父さんの話にまつわる土地を巡るにつれて、彼の激動の人生とその時代の空気がだんだんと浮き彫りになっていくのを感じました。監督はお父さんのことを「理解不能な高い山」と表現されていますが、どのような親子関係だったのですか?

LN: 父とはあまり親しくありませんでした。10歳の時に両親が離婚して以来、ずっと父と離れていて、まったく違う時代を生きた彼の価値観が理解できませんでした。また時間軸を無視し、資料的な裏づけもない父の話の信憑性を、ずっと疑っていました。けれども、父は私が幼い頃から、「自分の人生を人に伝えて欲しい」と言い続けていました。私は4人兄弟で、父は皆にその話をしました。私を含め、1人も父の話に真剣に向き合おうとはしなかったのですが、大学に入り映画を専攻したことで、「映像を使って父との約束を果たそう」と思いました。私よりも父と疎遠だった兄は、今回の映画を観て初めて父の話を理解できたと言っています。

Q: はじめは疑っていたお父さんの話をどのようにして信じるようになったのですか?

LN: 2011年に政府の補助金のおかげで、初めて大陸へ撮影に向かうことになったのですが、その時でさえ父の話を半分疑っていました。中国に到着してからも、なかなか父の話を裏づけるものに出会えず、疑念を持ちながら旅をしていました。しかしある日、父方の祖母が身を投げたという井戸を見つけたのです。そのときは体が震えるような驚きと衝撃を感じました。

Q: 映画の中でいくつか実験的な映像がありましたが、それはどのような意図で撮られたのですか?

LN: もともと実験映画を作っていたこともあり、一般的な歴史の描写の仕方を避けようと思っていました。ただ撮影に際しては、はた目には素人が何かやっているようにしか見えない、おかしな現場だったと思います。たとえば洪水のシーンでは、テレビの前に置いた水槽に、スタッフが上から物を落し、その様子を撮ったりしました。

Q: 映画の中でお父さんが「反共」と書かれた入れ墨を見せるシーンがありましたが、あれにはどういう意味があるのですか?

LN: もともと国民党軍だった父は、食べていくために共産党になりました。当時、そのように転身した人たちの多くは朝鮮戦争の最前線に送られました。父は朝鮮戦争に送られ、捕虜になりました。戦争が終わると、捕虜の多くは台湾に行くことを選びました。その意思を示すため、彼らは反共産主義の入れ墨をしたのです。

Q: 「命、老い、病気、死を決して手放してくれない」時間というものにカメラを向け、どのようなことを感じましたか?

LN: 私はもともと人の一生は長いと考えていました。しかし、父が生まれ、戦争に行き、やがて死ぬまでの時間を追っていく中で、いかに人生というものが短いものなのか、ということを感じました。どんなに壮絶な経験をしたとしても、人はみな同じように命を終え、消えるのです。「生まれるときは何も持ってこられず、死ぬときは何も持っていけない」という意味のことわざがあります。私はこの作品を通して、その意味を強く感じました。

(採録・構成:川島翔一朗)

インタビュアー:川島翔一朗、木室志穂/通訳:秋山珠子
写真撮影:原島愛子/ビデオ撮影:岩田康平/2015-10-10