english
YIDFF 2009 ニュー・ドックス・ジャパン
ほんがら
長岡野亜 監督インタビュー

ほんがら復活と映画撮影が、村活性化プロジェクトになった


Q: 村の方々の表情が、とても素敵でした。なぜ、滋賀・近江八幡の祭りを取材されたのですか?

NN: 近江八幡の島町に住む知人から、地域活性化のひとつとして、途絶えていた“ほんがら”松明(たいまつ)の復活を、ビデオで記録してほしいと依頼を受けました。事前取材にはいった時には、もう“なたね刈り”が始まっていて、すぐ撮影になりました。取材していると、お爺さんたちの意欲がすごく伝わってきて、集落としての共同体を取材するとおもしろいのではないか、映画にしてみようと思い、提案しました。村の祭りでほんがら松明が途絶えてしまったことには、何か理由があったと考えたのと、50年前に途絶えて60歳半ばより下の世代の人は見たことがないと聞き、記憶を辿るということができればいいと考えました。そして村人たちの想いや、その年の祭りがどうなるかとか、今後どうなっていくのかが撮影できればと思いました。

Q: 村の人たちは、カメラを意識せず話されていたようでしたが。

NN: 昔やった経験のある人々は、ほんがら松明復活への意欲が満々で、どんどん話を聞いてほしいという姿勢だったので、聞きやすかったですね。若い人たちも、老人たちの想いに応じようと協力的でした。

Q: 巨大松明の形が地域で違うとありましたが、それぞれの形に意味があるのですか?

NN: 意味はあったようですが、文献も残っていないし、地域の方々に聞いても定かでなく、分かりませんでした。ただ、村々で形は決まっていて、作り方は口伝えで引き継がれています。

Q: 日本の多くの地域の祭りが、若者たちが参加せず、続けられないという問題を抱えていると耳にします。監督自身は、今まで祭りをどのように考えてきましたか?

NN: 私自身は新興住宅地で育ったので、地域の伝統的な祭りはありませんでした。ほんがら松明に関わって、祭りが廃れていくのは、年配層と若者たちのコミュニケーションができていないからではないかと感じました。村が機能してこそ、祭りが成立するんです。祭りがあるからこそ、世代を超えて協力しあい、何とか成功させなければならないと一丸となります。ひとりのお爺さんが「祭りが無かったら、村じゃない。ただ、住む場所なだけだ」と言われていました。村の生活は、会合や行事などと忙しい。つきあいが面倒だという人もいるけれど、でもそれがあるから、隣近所とコミュニケーションがとれるんじゃないかと思いました。近くの村では、“ひきこもり”の若者を、祭りの準備やらに誘って、少しずつコミュニケーションがとれるようになった例もあるそうです。

 50年前、70代より下の世代は、街へ働きに出ていたりで忙しかったので、その時は祭りを面倒だと思っていて、結局、その煩わしさが、ほんがら松明を廃れさせた原因だったんです。今回取材して、ほんがらの復活は、お年寄り世代の“遺言”のように感じました。実際、撮影後に何人かの方は亡くなられましたしね。

Q: この映画で、観客に何を訴えたいと思われたのですか?

NN: この映画を見てくれた人には、少しでも伝統を守るために、世代を超えたコミュニケーションの大事さを、感じてほしいです。今回は、カメラを向けたことで、村の人たちの心を近づける役割をになったと思います。

(採録・構成:楠瀬かおり)

インタビュアー:楠瀬かおり
写真撮影:柴田誠/ビデオ撮影:柴田誠/2009-09-22 大阪にて