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YIDFF 2005 私映画から見えるもの スイスと日本の一人称ドキュメンタリー

河瀬直美 監督インタビュー

悪いヤツじゃないとできないこと


Q: 映画の中のふたりは親子ではなく男女関係に見えましたが、父親像とは?

KN: 父を知らないので、わからない。自分自身のやることに対して、やる前からダメだと言うのではなく、どこかでちゃんと見てくれている存在が父だったらいいなぁと思う。私が危険な道へ行こうとした時、いい方向へ導いてくれる存在というのが、理想としてはあります。自分の夫を、自分の子どもの父としてみた場合もそうです。

Q: 1日で撮影したそうですが、どのような準備をしましたか?

KN: 妊娠7カ月目ということもあり、撮影はその日だけと決めていました。1シチュエーションという限られた空間の中で、何ができるか挑戦しました。準備段階で何をしたかというと、女優さんには「山崎さんにプレゼントを持ってきて」とだけ言いました。セリフは即興です。

 女優の葉子ちゃんも父親が不在で、その辺の部分で、私とどこか似たような感覚があるわけ。それを投影して、物語としてできていく。でも、リアリティがないと面白くないから、自分の父を想って感極まる部分とかがある。直接、河瀬直美のドキュメンタリーではないけれど、葉子ちゃんという人が生きるドキュメンタリーになっている。人の感情が本当にリアルに動いていくのをとらえたかったから、演出や打ち合わせはまったくしませんでした。

 山崎さんとも打ち合わせはしてないです。カメラマンの山崎さんは、娘とずっと離れて住んでいるから、娘が不在なんです。どこかで自分のことを言っているんですね。山崎さんと私の確信犯ですね、この作品は。

 企画書を書いて、誰かに企画を説明して、スタッフにも脚本のようなものを配ってやっていては、絶対にできなかった映画です。本当に信頼があって、「この人ならこういう行動を絶対するはず」という、その人の癖を知っている私が、現場現場で、即興で仕組んでいった。すごいなぁ、私も。そうとう悪いヤツやなぁと思う。

 ドキュメンタリーを撮ることは、世界に対して、影響を与えるということ。ドキュメンタリーで、この人とこの人の姿を撮るということは、カメラが介在してふたりの関係が、私が行く前と後では、あきらかに違うものになる。そんな人生を歩ませてしまうという“覚悟”がいる。そこから先の人生が変わっていってしまうから、すごい責任がある。ちょっと悪いヤツじゃないとできないかもしれない。撮影後、葉子ちゃんは、山崎さんをすごく慕うようになった。お父さんが現れたような感じ。人生が変わってしまって、「う〜」とか思う人は、俳優では選ばない。私の現場は弱い人は無理です。

Q: 作風が今までと少し違うように思いますが……。

KN: これまでは、自分の中で欠けているものを埋めていくことが、映画づくりでした。それには、限界があります。最近は、「父の不在」を埋めるための映画はあまり未来がないような気がして、作っているのもしんどい。ないものを埋めるのではなく、ないことも含めて私だから、今をちゃんと見て、いま自分にできることを生み出そうという思いが強くなってきました。この作品は、次のステップへの助走のような作品です。

 今、「誕生」をテーマにした作品の編集を終えたばかりです。自分が考える余地もないくらい、子どもの世界の広がりようはすごいものがある。後ろを向いている間に立って歩いていたとか、すごい感動なんです。前のことにたち返っている場合ではなく、どんどん今があるという感じです。

(採録・構成:松本美保)

インタビュアー:松本美保、丹野絵美
写真撮影:大森宏樹/ビデオ撮影:佐藤寛朗/ 2005-10-08