ある夏の記録
Chronicle of a SummerChronique d'un été
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フランス/1961/フランス語/モノクロ/デジタル・ファイル(原版:16mm)/86分
監督:ジャン・ルーシュ、エドガール・モラン
撮影:ラウル・クタール、ジャン=ジャック・タルベ、ミシェル・ブロー、ロジェ・モリエール
編集:ジャン・ラヴェル、フランソワーズ・コラン、ネナ・バラティエ
録音:エドモンド・バルテルミー、ミシェル・ファノ、ギィ・ロフェ
音楽:ピエール・バルボ
出演:マルセリーヌ・ロリダン、ジャン=ピエール・セルジョン、ナディーヌ・バロー、 レジス・ドゥブレ、マリルー・パロリーニ
製作:アナトール・ドーマン
製作会社:アルゴス・フィルム
パリ、1960年夏。街へ出たカメラは、様々な人びとを切り取っていく。工場労働者、会社員、芸術家、学生、黒人移民――世代も生活環境も異なる人びと。「あなたは幸せですか?」という質問が投げかけられ、愛、仕事、余暇、人種問題について取材が重ねられていく。作品の後半、インタヴューとして撮られた映像について、被写体となった人びとが集められ、議論を交わす。カメラの存在を意識するのかしないのか、映画に映し出された姿は真実(cinéma vérité)なのか、それはあくまでも演技(cinéma mensonge)でしかないのか。撮影対象に積極的に関わることにより、映画の持つ作為的な要素や政治性が明らかなものとなり、概念としての「リアル」と「フィクション」が問い直される。ルーシュとモランの共同監督による、軽量の16ミリカメラと録音機で撮影された「シネマ・ヴェリテ」の代表作。のちにヨリス・イヴェンス夫人となり、ドキュメンタリー映画作家となるマルセリーヌ・ロリダン(1928−2018)がインタヴュアーとして重要な役割を演じている。
ある夏のリメイク
Remake of a SummerReprendre l'été
- フランス/2016/フランス語/カラー/デジタル・ファイル/96分
監督、撮影:マガリ・ブラガール、セヴリーヌ・アンジョルラス
編集:マガリ・ブラガール、トマ・ロフェール
録音:リュディヴィーヌ・ペレ
整音、ミキシング:マチュー・オータン
製作会社、提供:Survivance
本作は、ジャン・ルーシュとエドガール・モランによる『ある夏の記録』の現代版リメイクである。「あなたは幸せですか?」――オリジナルから50年の月日を経て、ふたりの若い女性監督が、夏の間パリとその郊外で同じ質問を投げかける。人びとはどのように返答するのか、時代が変われば答えも変わるのか。生についての問いかけは、フランス社会のポートレイトであると同時に、手法としてのシネマ・ヴェリテの意義を今日において見直す試みとなるだろう。
マルセリーヌ・ロリダンと山形
「日本の女の人って、どうして裏方に回ることを甘んじて受け入れているのかしら?」
48年前の1971年、ヨリス・イヴェンスと小川紳介を仲介する通訳として三里塚を訪れていた私に、マルセリーヌ・ロリダンはそうした質問を何度も浴びせかけたものだった。二人の大物ドキュメンタリー作家はそのときが初対面で、お互い語らうこともいくらでもあったろうに、日本語を解する同郷の女性に会ったのがよほど嬉しかったのだろう、二人の通訳をしなければならない私が、この国のとりわけ謎めいている女性の地位について教えてくれるはずだと、当然のように思い込んでいたのである。質問のせいで小川さんの話が聞きとりづらくなったとしても、彼女にはその言葉が理解できないのだから意に介さない。その数時間は、互いに熱を入れ合う二人の映画作家の強度に満ちた対話を通訳しつつ、同時に、フェミニズムについて燃え盛る議論に、あらゆる薪をくべ入れる女性闘士との討論方法を急いで編み出さなきゃいけないという、私にとっては何とも理不尽なものだった。当時はマルセリーヌ・ロリダンについて何の知識もなかったが、多くの人がそうだったように、私もまた、もじゃもじゃの赤髪と一度聴いたら忘れられないハスキーヴォイスが特徴的な、145cmと小柄なこの女性の、頑なで譲らない気性にすっかり参ってしまったのだ。
再会はその13年後、フランスの首相が黒澤明を主賓に招いて開いたレセプションに、ヨリス・イヴェンスと連れ立って彼女が出席したときのことだった。500人の招待客が夜会の主役とお近づきになりたいと我先に押し寄せるなか、日本の巨匠の心を動かすことに成功したのは、やはり彼女のなせる業だろう。彼女がヨリスとともに、のちに『風の物語』となる映画の企画について話したとき、黒澤監督の目が二人と一緒になって風の道へと飛び立ち、現実よりも真実味のある映画を夢に思い浮かべるのを、私はたしかに目撃した。マルセリーヌの言葉を訳すことで、またもその魔術の共犯者となった私は、誰よりもその苛酷さを自身で感じた 歴史の風を誉めそやすこの「火の女」の生命力を前にして、感嘆の念で胸を満たすことしかできなかった。
15歳のときに経験した強制収容所の恐怖をもとに、彼女は一篇の映画を制作している。苦しいけれども愉快、どのジャンルにも属していないけれど見逃すことができない、偶像破壊的でありながらも忠実にナチの狂気の犠牲となった数知れない人びとの記憶を描く『La petite prairie aux bouleaux』(2002)は、まるで彼女の似姿のようだった。自分が生き延びた人間であることを、彼女は決して忘れはしなかった。つむじ風のようでいて、ユーモアと寛容さを備えた人だった。自身のことを90歳の小娘だと言っていた彼女は、山形に行くのがとても好きだった――日本の女性は彼女にとって、最後まで謎のままだったけれども。