2001-12-03 | | | 山路ふみ子文化賞受賞 |
当映画祭は、この度第25回山路ふみ子文化賞を受賞致しました。受賞の理由は、長年にわたり国内外の記録映画の普及と振興に貢献したことに対してです。受賞式は平成13年11月30日、東京新橋のヤクルトホールで行われ、大久保義彦副会長が映画祭を代表して出席致しました。
1998年2月に受賞した「日本映画ペンクラブ賞」に引き続くこうした栄誉は、映画祭を様々なかたちで支えて下さる皆様のお力によるものです。ありがとうございました。
■山路ふみ子さんのプロフィール山路ふみ子さんは、昭和3年に神戸市の森高等女学校を卒業後、ミス神戸から帝国キネマのスターとして昭和5年の「神戸行進曲」で映画界にデビュー。以後、新興キネマ、日活、松竹の映画に主演し、昭和10年代を代表した名女優の一人。代表作に「国境の町」(昭和10年、松崎博匠監督)や、「愛怨峡」(昭和12年、溝口健二監督)などがある。最後の映画出演は昭和23年度松竹作品「色ざんげ」(井上金太郎監督)。映画や演劇の第一線を退いてからは母の恵代さんと東京芝公園で料亭「山路」を経営。恵代さんの病気を機に料亭を廃業した後、その土地と建物を売却して得た一億円を寄付して「山路ふみ子自然科学財団」を設立して会長に就任。 昭和40年より50年の10年間に47名の科学者に奨学賞32団体60名に研究助成金を贈った。その間、昭和47年に学術振興に寄与したことにより藍綬褒章を受賞。後、新に芸術の振興を目ざして「山路ふみ子文化財団」を設立し、「山路ふみ子映画賞」と「功労賞」を設けた。 山路ふみ子さんはいつもにこやかで、やさしい心の持主。眼の悪い母の恵代さんを献身的にいたわりつつ母娘二人ががんばりぬいて来た人生は美しい。昭和11年に国産自動車ダットサンを贈られ、女性ドライバーの第1号となった。クィーン・エリザベス二世号による世界一周旅行など、はなやかな話題の持主でもある。 (山路ふみ子文化財団資料から転載) |