2001-06-13 | | | インターナショナル・コンペティション作品15本決定 |
- 『アンゲロスのフィルム』監督フォルガーチ・ぺーテル
- 『A2』監督森達也
- 『あるアナーキスト―ドゥルティの生涯』監督ジャン=ルイ・コモリ
- 『クレイジー』監督エディ・ホニグマン
- 『山での日々』監督ワン・ハイビン
- 『鳥のように ―ラ・ドゥヴィニエール』監督ブノワ・デルヴォー
- 『ガイア・ガールズ』監督キム・ロンジノット、ジャノ・ウィリアムズ
- 『祖母のかんざし』監督シャオ・ジュイジェン
- 『ヴァンダの部屋』監督ペドロ・コスタ
- 『さすらう者たちの地』監督リティー・パニュ
- 『真昼の不思議な物体』監督アピチャッポン・ウィーラセタクン
- 『刑法175条』監督ロブ・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン
- 『青春クロニクル』監督ヴィターリー・マンスキー
- 『シックス・イージー・ピーセス』監督ジョン・ジョスト
- 『安らぎの土地』監督ケイト・デイヴィス
インターナショナル・コンペティション作品の紹介
アンゲロスのフィルム
Angelos' Film
監督:フォルガーチ・ぺーテル
2000/オランダ/ビデオ/カラー、モノクロ/60分/英語
ある家族の歴史とギリシャの歴史。貴族の家に生まれたアンゲロスは、海軍を離れたのち株屋、工場の持ち主として成功し、1930年代後半にはアテネ市長の秘書官となった。映画は、アンゲロスの家族のホーム・ムービーを用い、妻や子どもとの幸福な日々が、ナチス侵攻によってしだいに暗い影をおびてくる様子を描く。アクロポリスにナチの旗がひるがえり、やがて多くのアテネ市民が命を失う。アンゲロスはこの恐怖のすべてを記録すべきだと考え、フィルムを確保するため極秘にあらゆる手を尽くす。惨劇の光景の数々。道端に無残に吊るされた人々。映画は時に歴史の証言者となる。これはその記録である。
A2
A2
監督:森達也
2001/日本/ビデオ/カラー/130分/日本語
1999年9月。オウムを取材した前作『A』を撮り終えてからほぼ2年ぶりに、森達也は再びキャメラを手に取った。この時期オウムは、日本各地にその拠点を分散し活動を続けていた。この作品に写し出される世界は、多くの日本人が認知している世界とは、あまりにも食い違っている。オウム信者、移転先の地域住民、警察、右翼、マスコミ…、そしてそれぞれの間に築き上げられる奇妙な共有空間。つかの間のまどろみ。ここで交差する人間関係、彼らの口から次々に発せられる真実に、見るものは驚きを隠せない。テレビでは伝えきれない「民衆の敵=オウム」をめぐる日本社会のもう一つの姿を私たちは目撃する。
あるアナーキスト―ドゥルティの生涯
Buenaventura Durruti, anarchiste
監督:ジャン=ルイ・コモリ
1999/スペイン、フランス/35mm/カラー/107分/スペイン語、カタロニア語、フランス語
1896年に生まれスペイン革命の際にアナーキスト部隊を指揮し、1936年のマドリッド攻防戦で亡くなった革命家ブエナベントゥラ・ドゥルティ。彼の生涯が、当時のニュース映像を挿入しながら、ストリートパフォーマーの歌と舞台俳優によって演じられる。舞台装置もない普通の部屋、小道具も当時を思わせるものはほとんどない。その中でリハーサルとも本番ともつかない芝居が進行していく。にもかかわらず見るものは彼らの重厚な演技と素晴らしい歌声の虜になる。映画の中で芝居が作り上げられ、その芝居自体がいつしか映画そのものになっていく。これはドゥルティの人生に触れる至福の時間となる。
クレイジー
Crazy
監督:エディ・ホニグマン
1999/オランダ/35mm/カラー/97分/オランダ語
オランダの国連軍兵士が参加した戦地での回想。1950年の朝鮮半島への最初の国連派遣から、レバノン、カンボジア、ルワンダ、旧ユーゴスラビアまで…。今は日常生活に戻った彼らの記憶は、故郷からはるか遠く離れた場所で気持ちをなごます特別な一曲の歌ともつれあう。ホニグマン監督は兵士たちに粘り強いインタビューを試み、彼らが受けたこころの傷跡をあぶりだす。リアルな緊迫感を漂わせる戦場シーンの映像。そしてアリランからプッチーニ、プレスリー、U2まで、戦時の記憶と絡み合う印象的な音楽の数々が、私たちを狂気の世界に案内する。
山での日々
Days in Those Mountains
監督:ワン・ハイビン
2000/中国/ビデオ/カラー/162分/中国語
中国・四川省の奥深い山里の村にトウがその家族と住んでいる。トウは、画家ルオ・ツォンリイの代表作「父親」のモデルとなった老人の孫息子である。1968年から1999年まで、ルオはトウと村の仲間たちに会うために村を訪れ、村の人たちもまたルオを歓迎する。農民たちの日々の営みが四季の移ろいの中に、ルオの絵を挿みながら静かなタッチで映し出されていく。村人が総出でおこなう道普請、伝統的な婚姻の風景。無垢な子どもたちの笑顔が作品全体に温かい光を差し込む。都会の喧騒から隔絶された、おだやかな時の流れが2時間42分という長さの中につむぎだされる。
鳥のように ―ラ・ドゥヴィニエール
La Deviniere(アクセント記号を含めた綴りは英語版をごらんください)
監督:ブノワ・デルヴォー
2000/ベルギー/35mm/カラー/90分/フランス語
1976年、精神療法院の「ラ・ドゥヴィニエール」 は、不治の病と言われ他の病院から見放された19人の子どもたちに門戸を開いた。彼らを認めることは精神医学の常識、教育の限度を超えているようにみえた。「ラ・ドゥヴィニエール」 は、彼らを格子や手錠や薬から解放し、人間として当たり前の尊厳を持たせることに成功した。20年以上の時がたち、カメラは大人になった彼らの日常をふたたび見つめる。母と久しぶりの再会をするジャンの心の揺れ、彼を温かく包み込む創立者ミシェル、鳥のようにすべてが自由であり、そして人生を豊かにすることができる場所がここにある。
ガイア・ガールズ
Gaea Girls
監督:キム・ロンジノット、ジャノ・ウィリアムズ
2000/イギリス/35mm/カラー/106分/日本語
竹内彩夏(さやか)は女子プロレス界のカリスマ長与千種にあこがれて、GAEA JAPAN(ガイア・ジャパン)の門をたたく。彼女たちの生活はいわゆる年頃の女の子たちの生活とは大きくかけ離れている。スパルタ的日常生活、手荒いトレーニング、厳しい上下関係。脱落するものもいる。しかしリングでの栄光を夢見て彼女たちはハードな練習に耐える。この映画は、不安と興奮の入りまじるなか新人竹内彩夏がプロテストに合格しデビュー戦を飾るまでの奮戦を描く。イギリス人監督キム・ロンジノットとジャノ・ウィリアムズは、日本女性をテーマに製作してきた一連の作品の集大成ともいうべき傑作を完成させた。
祖母のかんざし
Grandma's Hairpin
監督:シャオ・ジュイジェン
2000/台湾/16mm/カラー/90分/中国語
監督シャオ・ジュイジェンは退役軍人である父にカメラを向ける。これは娘が父の想いに寄り添うその記録である。1949年、国民党政府は60万の兵士とともに中国本土から台湾に移ってきた。その時20代だった父も他の多くの兵士たちも、近いうち国民党政府と中国に戻ることになると信じていた。しかし海峡を越えた交流が再開されるまでには40年の時の流れを必要とした。故郷へは帰省できず、その希望さえも持つことが許されない時代。彼女は、中国に残った祖母が持っていた銀色のかんざしを足がかりに、父の世代の中国に対する思い、退役軍人たちの深い追憶を、ほのかな郷愁の中に映し出してゆく。
ヴァンダの部屋
In Vanda's Room
監督:ペドロ・コスタ
2000/ポルトガル、ドイツ、スイス/35mm/カラー/180分/ポルトガル語
1997年、ぺドロ・コスタ監督はある家族の運命を描いた劇映画『骨』をつくる。その後ふたたび彼は撮影地リスボンにあるスラム街に戻り、続編ともいうべきこの作品を手掛けた。『骨』の主演者でもあったヴァンダ・デュアルテ、スタッフは一年間カメラを通して彼女を追った。わずか3メートル四方の小さな部屋。そこで繰り返される日常。友達や親類の訪問、麻薬におぼれる日々。私たちはベッド一つしかない殺風景なヴァンダの部屋と、次第に破壊されていく周囲の建物のみを見つめ続ける。この作品が描くのは「生きる」ことそのものなのだ。濃密な時間が流れる圧倒的な180分。
さすらう者たちの地
The Land of the Wandering Souls
監督:リティー・パニュ
2000/フランス/ビデオ/カラー/98分/カンボジア語
1999年、東南アジア初の光ファイバーケーブルの敷設作業が、タイ国境からベトナム辺境地へとカンボジアを横切った。ケーブルは、シルクロードに沿ってヨーロッパから来るもう一本のケーブルとつながる。この現場は多くのカンボジア人に雇用の機会を与えたが、数ヶ月に及ぶ作業が進むにしたがって、土地を失った農民、復員兵士、貧しい家族らがさすらいの身となっていく。カンボジア出身の監督リティー・パニュは、自分たちの国を生き返らせるために、乗り越えなければならない矛盾を抱えながら生きる人々を息がつまるような緊張感の中に凝視する。ラストにともる希望の灯が家族を包み込む日はくるのだろうか。
真昼の不思議な物体
Mysterious Object at Noon
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
2000/タイ/35mm/モノクロ/83分/タイ語
この作品を見た者は、すぐにでも隣の誰かに作品の内容を問わずにはいられない。不可解だが魅力的。これほどドキュメンタリーとか劇映画とかジャンル分けをすることの無意味さを痛切に感じさせる映画も稀だろう。作者はタイの国中を旅し、出会った人たちからある話を聞く。画面には、マイクを向けられるタイの地方の人々と、彼らによって語られた「不思議な物体」の物語が、交錯して描かれることになる。話し手により物語は次々と変容する。それは作者自身さえも予想できない展開を見せていく。斬新な語り口、魅惑的なモノクロ映像。アジアからユニークでサスペンスフルな新世紀感覚の映画が生まれたことを祝福したい。
刑法175条
Paragraph 175
監督:ロブ・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン
1999/アメリカ/35mm/カラー/81分/英語、ドイツ語
ナチスによる迫害が、ユダヤ人だけではなく同性愛者にもおよんでいたことはあまり知られていない。また、彼らが自身の体験談を語ることもほとんどなかった。この映画は同性愛者を差別するドイツの“刑法175条”によって迫害を受けた彼らに、歴史に隠された一面を聞き出すことに成功した。ハインツは強制収容所での体験を告白し、フランス人ピエールは自分のボーイフレンドが虐殺されるのを目撃し、ユダヤ人ガドは地下抵抗組織の指導者としての経験を語る。彼らは時に苦痛に満ち時には皮肉とユーモアをたたえ、生き抜いてきた強い意思を持っている。しかし彼らに対する偏見は今もなお存在する。これは過去の話ではない。
青春クロニクル
Private Chronicles. Monologue
監督:ヴィターリー・マンスキー
1999/ロシア/35mm/カラー、モノクロ/91分/ロシア語
ヴィターリー・マンスキー監督は膨大な量のプライベート・フィルムと格闘し、あるロシア人青年の青春のクロニクル(年代記)をつくりあげた。1961年から1986年、ユーリ・ガガーリンが宇宙へ行ったその時からソ連が崩壊する直前までの時代。若い男女のカップルの腕に抱きかかえられた赤ん坊の頃の自分、幼年時代、父母の離婚、母と行った海水浴の記憶、友達との喧嘩、そして女の子への胸のときめき、初めてのキス。誰もが思い当る青春のひとコマが、作者自身のナレーションによって綴られていく。私たちは社会主義国ソビエトのごくありふれた中産階級家族の何気ない日常に触れることになる。
シックス・イージー・ピーセス
6 Easy Pieces
監督:ジョン・ジョスト
2001/イタリア/ビデオ/カラー/69分/イタリア語、英語
ドキュメンタリー映画の多くは見るものに何かメッセージを伝える。しかしこの映画にメッセージらしきものはない。ここにあるのは「映像」そのものであり、「表現」そのものである。石畳の上の子ども、射撃する女、踊る女、これらひとつひとつに意味はない。走る車が捉える夜の光の洪水、立ち並ぶ柱の幾何学的美、水面のきらめき、これらはただ見るものの前に立ち現れる。デジタルビデオというフィルムとは異質の表現媒体が提示する6つのエピソード。これは観客を選ぶ映画だ。しかしそこには自由な想像力が無限にとびかう可能性に満ちた空間がある。観客は心してこの映画と向き合わなくてはならない。
安らぎの土地
Southern Comfort
監督:ケイト・デイヴィス
2000/アメリカ/35mm/カラー/90分/英語
アメリカ南部、ジョージア州の片田舎を舞台に、女性として生まれ結婚して2人の息子を育てながら、その後は男性として生きることを選んだ、ロバート・イーズの生き方を見つめる。一方ローラは男性として生まれながら今は女性として生きている。性差を超えて、2人は恋に落ちた。ロバートは卵巣ガンにかかり(20人の医者が診察を拒否した)、ローラは傍らで彼の回復を願う。これは矛盾に満ちた世界だ。しかし自分の性に違和感を感じ悩む人は日本にも数多くいるといわれる。この映画は彼らの生き方を静かに見つめることによって、彼らを取り巻く社会の現実を照らし出している。