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YIDFF 2023 インターナショナル・コンペティション

東部戦線
イェウヘン・ティタレンコ 監督インタビュー

聞き手:加藤孝信

戦場で映画を作ること

加藤孝信(以下、加藤):『東部戦線』にたいへんな感銘を受けました。ボディカメラやスマートフォンなどのガジェットを駆使した映像の迫真性はもとより、画面から聞こえてくる音響の生々しさにも驚かされました。作品の序盤、傷痍兵を搬送するシークェンスで、青ざめた身体のどこからか聞こえてくる微かな喘鳴に気が付いたときは背筋が凍る思いでした。過酷な環境でこうした音はどのように捉えられたのか、また、撮影にあたってどんな苦労があったのか、教えて頂けるでしょうか。

イェウヘン・ティタレンコ(以下、ティタレンコ):録れるところはできるだけいろいろな機材を使って録っています。Blackmagic Designのカメラ(の音声)を使ったり、ショットガンマイクを使ったり、サウンドレコーダーを使ったりしています。場合によっては完全にボディカムの音だけしか録れていなかったこともありますが。

 音の編集をするときにサウンド・ディレクターに音の素材を渡して、一度彼が編集したんですけれども、彼が良かれと思って色んな音を足していて、それを私が初めて聴いたときに「これは何? こんなものは私は望んでいないよ」ということで、サウンド・ディレクターが足したものを全て外して、本当にリアルな音だけを残しました。現実の音を他の方法で再現することはできないので、録ったそのままを使っています。

 日常の世界を描いた部分では撮影に十分な時間を取れるので様々なカメラアングルや音の録りかたを試す贅沢ができますが、戦場ではそのような余裕は無いので有るものを使うしかありません。ハルキウの近くでウクライナの反攻が成功を収めていたとき、突然ロシアの反撃を受けて生き残るために全員が撤収しなければならなくなりました。その時はいろいろな機材を持っていましたが、その内のどれを持っていくかの選択を迫られ、こんなことをしていてはダメだと悟り、最終的には小さく軽くてどこにでも持って歩けるものにしようと決めました。もちろん状況次第ですけれどもね。朝、バックパックを背負って出るときには何を持って行けるかは分かっています。ガジェットに囲まれて死ぬわけにはいきませんから。

加藤:厳しい状況で撮影されたにもかかわらず、素晴らしいショットもたくさんあります。鹵獲した“Z”のペイントが施されたロシア軍の装甲車を連ねた車列が見事な夕陽に向かって進むショットは、意図して撮ろうと狙っていても簡単ではありません。また、オレンジをひと囓りする美味しさや、タンポポの綿毛を吹いて母の日を言祝ぐ男性など、日常の些細な出来事に感じる小さな幸せも丁寧に描いていますね。一方、ひっくり返った甲虫がもがく様子など、暗示的なショットも幾つかありました。

ティタレンコ:車列のショットは太陽のおかげです。全ては光線が上手い具合に当たっていたからですよ。

 一歩踏み出せば人生に別れを告げるような死に直面した状況では、感覚はいっそう高いレベルに研ぎ澄まされて、ふだんなら気付かずに無視するような些細なことにも感情が向けられていくのです。その一例として、オレンジや虫のショットを入れたのです。ふだんであれば何も意識せずに様々なことをやってしまっているけれども、人生があと10分しか無いと悟ったとしたら、そして限られた時間の中で何かを為さなければならないとしたら、全意識をそこに集中するでしょう。その差だと思います。侵略が始まるまではウクライナでも政府や高すぎる税金に不平を言っていたのもでした。受難の時代が始まってみると今度は、戦争が始まる前の昔は良かった、と懐かしんだりするのですが、そうではなくて、過去が良かったわけでは無くて、いま生きていること、それが一番の幸せだと実感を持つべきだと思っています。確かに私たちは高い代償を払ったと思いますが、安物買いしても良いものは得られませんから。

ヴィタリー・マンスキー監督との共同作業

加藤:この作品はヴィタリー・マンスキー監督と共同で作られたものですね。マンスキー監督と共に働くことになったいきさつやそれぞれの役割分担について教えて下さい。

ティタレンコ:私が戦闘シーン、ヴィタリーさんがそれ以外のシーンを、それぞれ撮って編集をするという役割分担をしました。全く対立もせず、価値観も目的も共有していたので問題はなかったです。

 ヴィタリーさんと私は知り合ってから6年くらい経っています。知り合った切っ掛けは私の映画を彼がロシアの映画祭で上映しようとしたことです。それが大問題になって、ロシア政府からふたりとも訴えられました。ウクライナに対する様々なプロパガンダ攻撃に反する映画を上映しようとしたことに対する恫喝です。結局、いくらロシア政府が風説を流したところで、ひとつでもそれに反する事実があれば、いくらでも世論は変わりうるものなので、連中はそれを怖れたのです。

 また、宣伝戦略を担当する政府当局はTVのプライムタイムで私やヴィタリーさんに相当酷い中傷し、我々の写真もわざと一番酷いモノを選んで使ったりしていました。ウクライナに居た私に特に直接の影響は無く、可笑しなことをしているなくらいの印象だったのですが、ロシアのヴィタリーさんは、家族もそうとう脅されたりして、いろいろ大変だったんです。

 最終的にロシア国内では上映禁止になり、それだったらモスクワのチェコ大使館で上映しようとヴィタリーさんがアイディアを出したのですが、ロシア当局はチェコ大使館に対しても圧力をかけて、その結果彼らも腰が引けてしまって、そうまでして上映することも無いだろうとなってしまい、結局ロシア国内で上映されることはありませんでした。

 ロシア当局者から相当な圧力を掛けられていたにもかかわらず、自分の意見を決して曲げなかったヴィタリーさんの姿勢を私はとても尊敬していたので、今回の映画の製作が始まったとき、すぐに一緒に仕事をしようという決断ができました。

加藤:この作品はずいぶんと短い期間で完成されましたね?

ティタレンコ:撮影はロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始した2022年2月24日に始まって、9月の半ばには終了しました。そして完成した映画のワールド・プレミアが1年後の2023年の2月23日でした。

 ひとりの人間として、映画の完成を必ず達成しなければならない任務と信じてゴールに向かって最善を尽くしていました。ニュースはいろいろな統計情報はくれますけれども、それだけしか提供されない。でも、この映画のようなアートにすることによって、世界を変えるとまでは思っていませんけれども、見た人の考え方・感じ方を少しでも変えられるのではないかという使命感を持っていましたので、モチベーションは高かったのです。

銃後の日常生活

加藤:戦場を捉えた場面の迫真性は言うまでもないですが、日常生活を描いたシーンも印象的で興味深いものがあります。

ティタレンコ:日常生活の場面はヴィタリーさんと共に撮りました。戦場のシーンはいかにもプロの兵士が戦っているようにしか見えません。兵士であればそれが日常のように見えてしまうのですけれども、本来であればこのようなところにいない人たちが戦っているのだ、ということを見せたかったのです。だから水着を着てただ泳いでいる、あるいは食事をしている、こういう普通の人たちが戦争を戦っている、特殊部隊の隊員でも何でもない彼らが非日常に出されてしまっている。戦場は彼らがいるべき場所ではないと表現すべきだとヴィタリーさんと話し合って、その結果この作品が完成したのです。

 彼らはごく普通の人々で俳優ではなく、指示をしたとおりに喋ってもらえるものではないので、実際にあの場で出てきた会話をできるだけ忠実に記録したのです。仲間や家族がひとつのテーブルに集まっていろいろな話をした草上のピクニックのシーンに関しては、監督としては話題を流れを望む方向へ導くことも可能だったでしょうが、そうした介入はせずに自然に任せました。私もヴィタリーもみんなと同じテーブルに座って、飲み食いをしながら喋っていたのをそのまま撮影した感じです。

加藤:ティタレンコさんは他のシーンでもたびたび姿を見せています。あなたも重要な登場人物のひとりですね?

ティタレンコ:2014年の前作では私はカメラの反対側にいましたが、自分も進化していかなければならない、変えていかなくてはならないということで、自分もカメラの前に立とうと考えたのです。

加藤:そういえば、作品が終わった直後、“登場人物はロシア語とウクライナ語で会話をしている”事を伝える旨の字幕が挿入されます。これには事実を伝える以上の含意があるように感じたのですが、この字幕を掲げた意図があれば教えていただけますか?

ティタレンコ:ひとつには“ウクライナではロシア語話者が弾圧されている”というロシア政府のプロパガンダが誤りであることを示す意味合いがあります。ロシア語で語りかけられた相手がウクライナ語で返答するとか、お互いにウクライナ語で会話したりとか、通訳も無しに互いに理解し合えていた社会で暮らしていることを示しているのです。しかし海外の人が聞いてもロシア語かウクライナ語か分からないでしょうから、理解を助けるために字幕を挿入したのです。

なにごとにも終わりがあるように

加藤:最後の質問に作品終盤の展開についてお訊きします。『東部戦線』は負傷者を救護する長い描写で終わりを迎えますが、初めのうちは比較的落ちついていた調子が、時間が経つにつれて戦場の混沌のただ中に主観カメラが放り込まれていき、辺りの喧噪が徐々に消えてカメラの荒い息づかいだけが残り、やがて画面も溶暗して言葉にならない余韻を残しながら終焉を迎えます。

ティタレンコ:フィナーレはまたひとつの新しい始まりだと思いますので、あのような形で終わっています。上映後のQ&Aでも一番初めに言ったのですけれども、この映画は観客が時間をかけて消化・吸収した後で色んな疑問が湧いてくる類の作品だと思っています。そうした意味でのエンディングですね。

加藤:このシークェンスが始まる前に“この映画結末はどうなると思う?”と訊かれる短いシーンがありますね。まるでこの侵略戦争の終結をどのように予想するか問われていたようにも思えたのですが……。

ティタレンコ:そういう質問は初めて受けました。そのシーンではこの映画をどうやって終わらせようかという話をヴィタリーとしていたのですけれども、それは戦闘が始まってから半年後ぐらいのことでした。ですが、現実には戦闘は今も続いているし、結末は誰にも分かりません。

採録・構成:加藤孝信

写真:阿部泰正/ビデオ:楠瀬かおり/通訳:川口陽子/2023-10-08

加藤孝信  Kato Takanobu
映画カメラマン。1989年より小川プロダクションに加入。92年以降フリー。主な参加作品に『無人地帯』(2011/藤原敏史監督)、『沖縄 うりずんの雨』(2015/ジャン・ユンカーマン監督)、『三里塚のイカロス』(2017/代島治彦監督)、『スープとイデオロギー』(2021/ヤン ヨンヒ監督)など。