災害に影響される地理的な距離と心の距離
Q: 映画に出てくる 那瑪夏地区の方々とは、どうやって知り合いましたか?
HH: 以前、高雄で社会支援をする団体と山の上の原住民の女性たちに、撮影のレクチャーをする機会がありました。その後、その団体が災害の被害にあった方々を助けに行った時に、私も同行させていただき、那瑪夏地区の方々と知り合いました。彼らは、山の上に住み続けたいという思いもありますが、同時に災害の危険に対する怖さも感じています。山の麓に降りることは、高級住宅を得られる利点もありますが、彼らが今まで営んでいた生活と、生存するための手段を奪われてしまうおそれもあったのです。なので彼らは、外の人たちと接するときは慎重になっていて、はじめは私と話したがらない人たちや、私のことを高級住宅を建てた団体のひとりだと思って、警戒する人たちもいました。
Q: そういう状況のなかで、どのように取材のアプローチをしていきましたか?
HH: だんだん記者たちが帰っていくなか、残り続けたドキュメンタリー制作者たちは、時間をかけて徐々に原住民の方々と仲良くなっていき、私たちが政府の関係者じゃないことを彼らに理解してもらい、撮影に協力してもらえるようになりました。
Q: 部族の方々との印象的なエピソードなどありますか?
HH: 災害後はじめて、年老いた猟師さんと山に戻ったのですが、山はあちこちが崩れて、道も塞がれてしまって、車でそうとう迂回していかなければならない状況でした。私たちには、また雨が降って、山が崩れるのではないかという怖さもあったのですけれども、その猟師さんはとても落ち着いていて、「こっちにいくと集落がある、こっちには湖がある」と、方向をわかっていました。ところが、彼がその後家族と一緒に麓の住宅に引越し、私が彼に会いに行った時、どれも皆同じような建物が立っていて、表の番号だけが手がかりという状況のなか、彼は自分の家がどれかわからなくなって迷ってしまいました。
また、山の上に残った人たちと麓に降りた人が、兄弟だったり同じ家族だったら、たとえ離れ離れに暮らして、関係に亀裂が入ってしまっても、家族だから関係を戻せるんじゃないかと私は考えていました。しかし、時間が経つとともにその亀裂が大きくなってしまって、彼らがお互いを許せないくらいにまでなっていました。非常に意外に思ったのは、災害の被害によって心の距離が地理的な距離以上に離れてしまったということです。
Q: 10月12日に、日本でも台風災害がありました。被害にあった方々にメッセージをいただけますでしょうか。
HH: 気候は、どんどん極端になってきています。もう人の力だけでは克服できません。この台風がきた時に、私が得た非常に大きな教訓は、「これまでのような楽観的な態度で、人の力で解決しようと思うのはもはや違っている」ということです。今の災害は、以前よりもより大規模で、かつ頻繁に起こっています。これまでは、自然を利用しすぎていたかもしれません。今後は、私たちがどうやって自然とうまくつきあっていくかを考え、そうすることで、災害をより小さく抑えていかなければいけないと思います。人間もあくまでも自然の一部にすぎない、と感じます。災害があることで、人も色々と考えることができます。死に直面することで生きることを思考し、その意義ということを考えるようになります。
(構成:宋倫)
インタビュアー:宋倫、菅原真由/通訳:中山大樹
写真撮影:長塚愛/ビデオ撮影:楠瀬かおり/2019-10-14