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YIDFF 2019 ともにある Cinema with Us 2019
未来につなぐために 〜 赤浜 震災から7年
小西晴子 監督インタビュー

現在の利益のためではなく次世代のためにという思いに触れて


Q: そもそも大槌町赤浜を撮ることになったきっかけは何ですか?

KH: 2011年3月、震災の映像をテレビで見ていて、現地に行けない自分にもどかしさを感じていました。その年の8月に、たまたまボランティアとして初めて赤浜に行きました。カメラを持っていってはいましたが、撮影する気持ちにはなれませんでした。自分はこんなところで取材していてもいいのかな、という気持ちだったのかもしれません。10月に再び赤浜を訪れ、新巻鮭を作る工程を見せてもらったとき、その手作業が本当に丁寧でとても惹きつけられました。そこから定期的に通うようになり、何を撮るでもなく撮影を始めました。

 赤浜の作品はこれで3作品目になります。赤浜三部作の最初の作品では、水の循環をベースに住民が自分たちで復興しようとする姿を描きました。その後、区画整備の変更などで復興が遅れ、住民が赤浜から離れ、人口に合わせて整備の計画はやり直され、赤浜の人たちは疲れ果てていました。その様子を2作目でまとめました。赤浜の状況はその後も変わり、住民の意見をまとめた青写真が国に認められたにもかかわらず、行政主導で復興を進めるための団体が復活し、住民の意思とは違う方にバイアスがかかってくる姿を見ました。それをまとめなきゃと思ったのが今回の作品です。

Q: 川口さんとの出会いについて教えてください。

KH: 2012年の4月に、東京で「赤浜の復興を考える会」という自主団体について話している川口さんにお会いしました。強面で怖そうだけど惹かれるものがありました。川口さんは、本当に自分の言葉で話す方で、話の裏付けがとても科学的なんです。当時から津波が届かない高台に移って、孫子の代まで安全な町を作る、ということをおっしゃっていました。私は防潮堤は当然作るものだという感覚でいたのですが、川口さんとか住民の人たちに「防潮堤は要りません。海が見えないし、海が見えないと避難の際に危ないから」と言われました。川口さんは、赤浜で亡くなった人たちがどうして亡くなったか歩いて検証していたんです。防潮堤のすぐ裏の人たちは、防潮堤があるから安心して逃げなかったために亡くなった人が多かった、という調査結果も見せてくださいました。川口さんの、現在の利益のためではなく次世代のためにという思いには、私自身、反省させられました。

Q: 復興と一言で言っても、住民と行政とで食い違う様子がよくわかりました。

KH: 被災した方々の、故郷に対する思いを描きたかったのです。誰のための復興なんだろうって。ほんとに住んでいる人たちのための復興じゃないということを、撮影を通して実感しました。本来は住んでいる人たちのための復興であるべきはずが、そうじゃない論理が働いています。その告発にチャレンジしたのがこの作品と前2作の赤浜三部作です。地方自治体に財源がないと、自分たちの町のことを、人に任せないで最後までやりきることができません。行政の組織は、誰の責任なのかというところになかなかたどり着けないですよね。防潮堤のことにしても、県は国の指示に従って作っているだけだと言い、国は住民が決めたと言い、住民は国の指示だと言う。見えない無責任な状態ができているんだけど、本当はそれを計画してる人がいるはずで、それを描きたかったんだけど、なかなか難しいです。

(構成:猪谷美夏)

インタビュアー:猪谷美夏、楠瀬かおり
写真撮影:徳永彩乃/ビデオ撮影:徳永彩乃/2019-10-14