ノ・ヨンソン 監督インタビュー
ユキコに導かれて
Q: 名護の浜辺に座っていた女性は、あたかも彼女の祖母が、彼女の体を借りて話しているかのように、祖母のエピソードを語っていました。彼女が映画に登場することになったきっかけは何ですか? また、祖母の経験を一人称で語られているのは、どうしてですか?
NY: お話してくださっているのは、石川ゆうこさんという方で、撮影を助けてくれたコーディネーターのひとりです。沖縄の祖母と同じ世代の女性と話したいと思っていたところ、急に行って関係性を築くのは難しかったのですが、彼女を通して沖縄の高齢の女性に会うことができました。2回目の滞在の後、今回の滞在はうまくいかなかったと感じていました。そんな時ゆうこさんが、「私のおばあちゃんはいつも戦争のことを話してくれて、もしおばあちゃんが生きていたら、インタビューしてもらえるのに残念だな」とおっしゃってくれました。
そして彼女に私からお願いして、一人称で話す形式になりました。皆さんそれぞれのストーリーは、家族のストーリーであるとか、どれも、興味深く大事なもので、どの人のストーリーが大事だとか、そういうことはないですよね。ゆうこさんの場合、おばあさんから何度も話を聞いて、それがもう自分のものになっていました。それを、彼女の中から引き出すようなことをしてほしい。おばあさんがこういう経験をしたということを、おばあさんの代わりとして話すということではなくて、その記憶をモノローグという形で、自分の言葉で話してほしいというふうにお願いしました。
Q: 監督のお母様が沖縄のおばあ様(ユキコさん)を訪ねられた時、本当の名前はわかったのでしょうか?
NY: 母が沖縄を訪れたきっかけは、祖母が母に航空券を渡したことでした。ただ、母にとっては、再会するのが遅すぎたということと、介護施設で通訳を介しての会話も居心地がよくなく、祖母との会話も、二、三言で終わってしまいました。そういったところから、ここははっきりとはわからず、母自身が、名前をにごしていました。ただ、母はずっと祖母のことを名前ではなく「日本の女性」と呼んでいました。母にしてみれば、自分の母でもなかったし、名前も知らないし、どう呼べば良いのかわからなかったんです。そのためあえて最初この映画では、祖母のことを“女性”と呼んでいました。しかしある時母のほうから、「ユキコという名前にしたら?」と言ってくれたことで、母が、名前で呼べなかったことを後悔しているような気がして、私としては彼女が「ユキコ」という名前を生み出してくれて、救われた部分があります。
Q: 母と娘、娘と祖母など、女性たちの間に、政治や、戦争などの歴史的な枠組みを超えた深いつながりがあるように感じました。監督は、女性が女性を語ることについて、どのように感じていますか?
NY: 女性は、特に戦争にかかわる経験を話す場というのが、男性に比べて少ないと思っています。韓国と日本に共通するのは、政治的なことに関する家父長制で、いわゆる祖父、父、息子、そういった3代の語られ方はあると思うのですが、私はあえて3代の女性で、祖母、母、娘、という形で語りたいという思いはありました。それがフェミニズム的な視点なのかはわかりません。ただ、より女性が語る場があってもよいとは思っています。
(構成:八木ひろ子)
インタビュアー:八木ひろ子、森崎花/通訳:松下由美
写真撮影:永山桃/ビデオ撮影:永山桃/2019-10-11